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琉球玉依姫〈13〉蝶と龍神

天久台地西側の御嶽・崎樋川(サチヒージャー)。
水が枯れ、樋川としてはもう機能していないようで、
マンション街の奥にポツンと佇んでいるかに見えた。
そこから左へ進むと台地の上に続く道があるという
琉球玉依姫〈13〉蝶と龍神_a0300530_12104000.jpg







実はこの周辺、歴史は古く貝塚時代前期にまで遡る。
崎樋川には、天久台地の崖下と斜面、2ヶ所に貝塚
があるが、崖下の崎樋川A遺跡は約3500年前のもの。

1932(昭和7)年の調査で出土した遺物が興味深い。
貝や犬の骨のほかに人工の遺物も多く、石斧・石鎚や
 貝匙・貝輪・貝小刀・貝包丁が出て高い文化が窺われる。
 また、骨を加工した骨針・刀子や蝶形骨器も出土した。

蝶形骨器(ちょうがたこっき)は、九州以北には
見られない沖縄諸島独自のデザインの遺物だという。

こちらが貝塚時代のトーテム・蝶形骨器の模型。
写真は子ども考古学教室さまサイトから拝借
琉球玉依姫〈13〉蝶と龍神_a0300530_11212010.jpg








蝶は、ウチナーグチで「ハベル」と呼ばれる。
時代は下って王朝時代にも、蝶は神の化身・神霊
 とされ、ノロは神衣装に ↓「玉ハベル」を着けた。

首飾りを胸に、ビーズを織り込んだ帯を背に垂らす。
下部に飾られた柔らかな三角布が、「蝶」を表す。
黒潮の民〈7〉ハーリー(競漕)とハベル(蝶)_a0300530_15434696.jpg









天と地、あるいはこの世とあの世の間を飛翔する
    と信じられた蝶は、死と再生の象徴でもあった。    
 そして蝶はまた龍神の化身とも信じられたという。

過去ログの「久高島の聖地・ハビャーン」に
書いたが、龍神に見立てられたクバ(蒲葵)の
葉で作られた扇は蝶の形になる。出雲の美保神社
に伝わる「蝶形の扇」も同義で、海人族の崇めた
  龍神は、「蝶」を依り代として降臨するとされた。


晴れた日「安謝新港夕日の見えるポイント」から
見た海。王朝時代、崎樋川からは「倭口」と
呼ばれた外航船の航路が見えたと伝わっている
琉球玉依姫〈13〉蝶と龍神_a0300530_10350876.jpg








その夕日が見えるスポットを中心にMAPを見ると、
新港エリアが羽を広げた蝶のように感じられた。
下の赤印が、崎樋川貝塚・御嶽。古代の海岸線だ
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崎樋川の御嶽にいまも語り継がれる口承がある。
1609年、薩摩侵攻で首里城が陥落、捕虜となった
尚寧王の船が北へと向かったとき、那覇の人々は、
丘の上から別れを惜しみ、滂沱の涙を流したという。

しかし、王は1年も経たずに琉球に帰国を許された。
御嶽の霊力が王を呼び戻したのだと、人々は言った。


# by utoutou | 2024-03-21 20:23 | 最終章 | Trackback | Comments(0)