琉球の城(ぐすく)は東西軸

『玉城城城跡整備実行計画報告書』に、軸角が夏至方向に向く城として記されているのは、玉城城跡だけではなかった。

知念城(ちねんぐすく)、勝連城(かつれんぐすく)、座喜味城(ざきみぐすく)、
糸数城(いとかずぐすく)、中城城(なかぐすくぐすく)、そして、琉球王朝代々王の居城であった首里城も。
創建年代のまるで異なる城が、どれも夏至の朝日の方向に向いているという。

さっそく知念城跡を訪ねる(2007年)。城壁の整備中だった。
現在は城内に入ることができる。この立ち位置からは、写真左手の奥が夏至方向(久高島方向)。
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知念城跡(現・南城市)について、沖縄大百科事典(沖縄タイムス社)は次のように記す。
〜知念森(ムイ)、知念森城(ムイグスク)、添森(シームイ)ともいう。
『おもろさうし』巻19に〈ちねんもりぐすく、かみおれはぢめのぐすく〉とうたわれており、
按司時代初期、あるいはそれ以前の古いグスクである〜
かみおれはぢめ……誰とは知れず、天孫時代のアマミキヨが築城したという意味だ。
ただこの知念城の古城(クーグスク、古い城)は未だ杜の中、見学することはできない。
写真は、新城(ミーグスク、新しい城)、尚真王(第二尚氏王統3代王、15世紀)の時代に築城されたという。
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上の報告書のコピーを片手に、勝連城跡にも早速行ってみた(2007年)。
標高110m、眺望ぐるりの絶景。11〜12世紀に築城され、15世紀中葉に阿麻和利が城主となった。
測量図、赤線の交差する部分が殿舎跡。
王の居所である正殿がおおよそ東西軸にあることを示している。
また西原門(跡)とその反対側の南風原門(跡)が、ほぼ夏至の日の出と冬至の日の出を繫ぐ線上にある。
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さて、『玉城城城跡整備実行計画報告書』で見つけた測量結果は、次の解説でくくられていた。
〜(玉城以外の)他のグスクにおいても、夏至の軸を基本とする構成が多いが、
勝連城跡の場合はやや北方にずれている。
また、首里城の場合は15世紀以降、増改築を行っており、明確な軸線が不明であるが、
本来の正門と考えられている美福門周辺は夏至方向と整合する。
中城城跡の場合は、殿舎跡の軸角のずれが認められるが、城郭は夏至軸に整合する〜
   
by utoutou | 2013-08-11 16:45 | 城(ぐすく) | Trackback | Comments(0)
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