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ミントンの娘とイザイホー〈1〉

それは、ガラスのショーケースに厳重に保管されていた。
久高島宿泊交流館にある久高島資料館。
古代の祭りイザイホーで使用された神女のレガリア(象徴物)。
水彩のレプリカではあったが……。

誕生した神女たちが胸に抱き、捧げ持って祈った聖なる大扇。
島に通い始めて半年ほどの秋、それをショーケースで見た。

そして、大扇に描かれた絵柄の意味をあれこれ考える。
表に太陽と鳳凰、裏に月と牡丹。
琉球の国家安寧や五穀豊穣や子孫繁栄を祈る神女となる就任式がイザイホー。
扇には、このような富貴の表現がふさわしい。
12年ごとの午年の子月に催行された祭りだという。では干支の象意とは?

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「グゥキマーイ」を大扇で舞う神女たち。(比嘉康雄氏著
『神々の古層 主婦が神になる刻 イザイホー[久高島]』より)

ファガナシーはミントングスクの主・ミントン按司の一人娘だった。
夫は従兄弟のシラタル。いまから600〜700年前、英祖王統時代の話。

玉城の水堅浜(みでぃきんぬはま)から久高島に渡ったふたりは、
東海岸の伊敷浜に海の幸を求めるも叶わなず、それならばと、
西海岸のヤグルガーで禊ぎをすると、五穀の種が入った壷を手にすることができた。
その種をハタスという畑に埋めると、五穀は豊穣。
久高島はやがて五穀発祥の聖地として、崇められるようになった。

そして、美しく育った孫娘は紆余曲折を経て玉城王の正室となり、
西威王を産んだ。英祖王統五代目にして最後の王である。
西威王が久高島から父を探して王城に登るくだりは
『黄金の瓜実(うりざね)』という伝説として残っている。

いっぽう、ファガナシーの物語は王府時代の『久高島由来記』として残り、
イザイホーなどの祭りでは『ファガナシーのティルル(神歌)』が謡われる。
ファガナシーは神の島・久高島の島建ての祖神。
それにしてもなぜ、ファガナシーはミントンの娘だったのか……。

聞得大君が東拝み(あがりうまーい)でミントングスクへ登る「ノロの籠道」。
シラタルとファガナシーも、ここを水堅浜(みでぃきんぬはま)へと下った。
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ファガナシーが船出した水堅浜は、ヤハラヅカサの横にある。
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そしてふたりはこの久高島の南端、徳仁港あたりに着いた。
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by utoutou | 2013-08-26 13:33 | イザイホー | Trackback | Comments(0)
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