久高島・男祭りの扇、そしてムカデ旗

「太陽神の祭り」テーラーガーミの扇。
儀式を済ませてテーラーガーミとなった男たちが手にする、まさしく太陽神の依り代である。
赤丸は太陽を表すというが、これはおそらく近年のもので、古くは蒲葵扇(クバオージ)だったのではないだろうか。
沖縄では、神世の時代から蒲葵が神の依り代だったと言われる。


実物を見たくて、知り合いのおじいを訪ねた。
70 歳で大主(ウプシュ)を退役して十数年は経つはずだが、手を伸ばせば開けられる引き出しから、
サッと出して見せてくれた。
見ると、ティルル(神歌)の歌詞が書き込まれてある。
「自分で書いたの?」と聞くと、「1年に1回の祭りだからねえ」と言い、上目遣いで少し笑った。
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そういう訳で、今年の大主の方々も、お祓いの行進を前に扇で歌詞を確認しているようだった。
テーラーガーミの第一祭場・集落の中央にあるハンチャアタイ(神の畑)の横道にて整列中。
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ところで、テーラーガーミまで一連の行事が続いた八月祭り。
その間、ハンチャアタイに隣接する久高ノロ家には旗が掲げられていた。
写真ではよく分からないが、上が黄色地に赤丸の三角旗(太陽を表す)。下が紅白の二色旗(太陽と月を表す)。
この二色旗は、実はごく最近まで「ンカデ旗」と呼ばれる、ムカデをかたどったものだったという。
百足の百にかけてか、ムカデ旗の意味は「子孫繁栄」だと、島のおばあたちは言った。
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ムカデ旗……どこかで見たようなと、調べてみたら、コレ↓
19 世紀中葉の那覇港を描いた『琉球貿易図屏風』(滋賀大学経済学部附属史料館蔵)にその旗はあった。

左が琉球国の進貢船。中央のマスト上に黄色地に赤丸の三角旗。その下に吹き流しのようなムカデ旗が。
漢字で書かれた旗は進貢船を表す旗(行きは「進貢」、帰りは「奉旨帰国」)だという。


「進貢」旗以外の旗は、航海安全に関わる呪術的な意味が込められた装飾物であり、
当時における海洋信仰を知る素材となるものである。
(豊見山和行氏著「「琉球貿易図屏風」を読む」2004年 『沖縄タイムス』より参照)

琉球王朝の海人は、黄色旗やムカデ旗を掲げて航海の無事を太陽神に祈った。
そして、ここ神の島・久高島からの祈りは、時代が変わり、人が減り、祭りが半減しても、
なお基本を変えることなく、古儀に新儀を融合させることで維持されてきたのだと思う。
もしかすると琉球王朝より、かなり以前の古代海洋王国の時代から。

右の写真は同じ屏風に描かれた薩摩藩の船。船旗は島津家家紋の「丸に十字」。
私たちが知っている日章旗はまだ使われていない。
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実は八月祭りのなかに、もうひとつ男の祭りがある。
『ナーリキー』(命名の儀式)。島の青年たちが自分の名前を神様に報告する神事だ。
これは、イザイホーと同じ12年ごとの午年に行われるもので、15歳から26歳の男性が神前に自分の姓を申し出る。
これをもって男子は正人(しょうにん、一人前の社会人)となり、一地(チュジー、約360坪)の耕地が与えられた。
または海人として唐船(トーシン、中国往復船)や楷船(テージン、薩摩往復船)に乗り込んだ。
そして神の島の祭りを経済面で支えた。

久高島では今なお、伝統の土地共有制を貫く。それは英祖王の時代から始まったという。
英祖王とは、こちらにも書いたように「今来のアマミキヨ」と目される人物である。
琉球王朝よりも古いその王統は「玉城天孫氏(たまぐすくてんそんし)」と呼ばれる。
わが語り部である宮里聡さんが出会った玉城のウメおばあとは、玉城天孫氏を祀る神女だった。
ウメおばあについては、こちら。
by utoutou | 2013-09-26 07:01 | 久高島 | Trackback | Comments(0)
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