天孫氏王朝17802年

語り部の宮里聡さんは、玉城百名(現・南城市)に住む「ウメおばあ」の元に
辿り着いた36年前を、まるで昨日のことのように話す。

「子どもが訪ねてきて道で泣きじゃくっているんですから、よほど驚いたのでしょう。
おばあは、私の手を引いて神屋に入り神前に座らせると、拝みながら言ったんです。
まだ殿内(とぅんち、拝所)が何かも分からない子どもです。この子をどうぞ、
上之当(いいのあたい、この家の屋号)で守ってくださいって。
それから12本のお香に火をつけると、即興の琉歌が口を突いて出た……」

あがりあかがりば しみなれがいちゅん かしらゆてぃたぼり わうやがなし 
とうんちしらん うやむとゆしらん あがりゆぬぬしぬ まちかにてぃうむ

訳(東の空が白々と明けて、学校に行かなければいけない時刻、
お父さんお母さんに身支度を手伝ってくださいというほどの子どもなのに、
殿内を知らず、元家(祖先)を知らず、それでも、あんたは悟って来たんだね、
東世の主が待ちかねていたんだよ)

「見える人」でもあった故ウメさんは、玉城百名の生まれ。
嫁いだ大城家は、正式な屋号を「上之当大城(いいのあたいのうふぐすく)」、
またの名乗りを「嶺井門(みーじょう)」あるいは「新門(みーじょう)」という。
沖縄の稲作の祖「アマスのアマミツ」の実家として知られる屋号・アマスの分家筋にあたる。
琉球の始祖・アマミキヨの後裔・ミントンの門中(もんちゅう、男系親族)という、
ただならぬ家系である。アマスは「天祖」と書く。
他に「阿摩祖」「天須」「天主」と表記される場合もある。

戦後まもなく、夫に「玉城天孫氏の元祖を継ぐ」(養子になる)話がもたされた当初、
ウメさんは仰天した。玉城天孫氏という名が示す重大な意味を、口伝によって知っていたからだ。

玉城天孫氏とは英祖王(在位1260〜1299年)を初代に5代続いた王統(系譜はこちら)と伝わる。
ただし、それだけではない。17802年続いたという古代琉球天孫氏王朝に遡る血脈。
悩みつつも覚悟を決めたウメさんは、玉城天孫氏を祀る神役を引き受けることにした。
そして生涯玉城を離れることなく、訪れる参拝者をゆかりある御嶽に案内して暮らした。


南城市の人気観光スポット・ニライカナイ橋の上から眺める東の海。
その彼方にある理想郷=ニライ・カナイに、豊穣をもたらす神々は住むと伝説に……。
そうかもしれないと思わせる絶景。
36年前、ウメさんの家のある百名からも、この海が眼下に広がっていたという。
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さて、そもそも天孫氏とは何か。
琉球王府が編纂した初の正史『中山世鑑』(ちゅうざんせいかん、1650年)は「天孫氏王統は、
25代17802年続いた」と伝えた。天孫氏王朝とは古伝にいう琉球最初の王統のこと。
天孫氏について、『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス刊)には次のようにある。


天地開闢のとき、天の城の天帝が下した御子(男女)が三男二女を生み、
長男は国の始めとなって天孫氏と称し、
二男は諸候、三男は百姓、長女は君々、二女は祝々のはじめとなった。
王の起源を説くための神話時代の王統で、英祖王がその子孫であるという
のは注意すべき伝えである。

ウメさんは、英祖王統を「玉城天孫氏」、古代天孫氏王朝を「御先天孫氏(うさちてんそんし)」
と呼び分けていた。ただし、英祖王統を祀ることは御先天孫氏を祀ること。
いわゆる万世一系。「神話時代の王統」が、現代にまで連綿と続いていることになる。

一般に「天孫降臨」や「天孫族」と言うときの「天孫」とは、記紀神話に登場する
古代大和を築いた王族を意味が、琉球にも「天孫氏」を名乗る王朝があった。
そしてその一族は「アマミキヨ」と呼ばれた。
定説に拠れば、それは海部(あまべ)や安曇(あずみ)といった古代大和の豪族に繋がる。


玉城天孫子(英祖王、大成王、英慈王、玉城王、西威王)の位牌。
手前の壇に祀られた香炉が示す神々の由来を、やがてサトシ少年は悟っていくことになる。
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「沖縄中に照り渡る」という歌詞の校歌。南城市立玉城中学校、
開校五十周年式典の記念品とか。
斎場御嶽に近い知念久手堅(ちねんくでけん)の某氏宅で拝見した。
「琉球発祥の地・南城市は神域」という地元の誇りが感じられる。
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by utoutou | 2013-10-05 10:16 | 天孫氏 | Trackback | Comments(0)
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