元伊勢・籠神社と『天孫人種六千年史の研究』〈1〉

京都府宮津市にある籠(この)神社に参拝した。
きっかけは語り部の宮里聡さんからの電話。
「籠神社へ行ったことはありますか?」
こんなふうに、いつも質問は突然に飛んでくる。
「はい、行ったことありますよ」

数年前、私は籠神社宮司の海部光彦氏にインタビューさせていただいた。
まだ行ったことがないという語り部が問う。
「籠神社の後ろには何がありますか? 川ですか?」
「後ろにあるのは、奥宮の真名井神社ですね。川も流れてます」
しばしの沈黙。何かが見えているのだろうか。そして……。
「童謡の『かごめかごめ』は、籠神社の歌ですよね?」
「はい、そう言われていますね」
「最後の歌詞の“後ろの正面だあれ”が、気になるんです。後ろ向きの男神が」
「見えるのですか?」
「はい」
ついに真名井神社・御祭神の謎が解けるのか。しかも男神とは……。

真名井神社は別名・豊受大神宮、外宮元宮、元伊勢大元宮。古称・与佐宮・匏宮(よさのみや)。
伊勢神宮に祀られる天照大神、豊受大神は、ここ与佐宮から遷座された。
豊受大神は伊勢神宮の御饌(みけ)の神だが、籠神社には「宇宙根源の大元霊神」と伝わる。

平安時代初期に書き写されたという海部氏勘注系図は、国宝にして日本最古の系図。
また海部家には後漢時代(約2千年前)の息津鏡(おきつかがみ)・辺津鏡(へつかがみ)が伝世されている。
元伊勢という名の通り、格式のたいへんに高い古社である。

その籠神社にいま何かが起こっている? 後ろ向きの神、つまり封印された神が正面を向くというのか。
これは行くしかないだろう。しかも、なんという偶然の一致。
「実は私、出張で関西へ行くんです。帰りに足を伸ばしてみますよ」

というわけで10日ほど前、出張先の神戸から高速バスと近畿タンゴ鉄道を乗り継ぎ、3時間の旅をした。
午後9時、天橋立に着き1泊、翌日レンタカーで籠神社へ。
境内では観光バスから降り立った旅行団の間隙を縫うようにして進み、拝殿にてお参り。
さて次はと、ふと見ると、八十二代宮司の海部光彦氏が社殿に入られるところだった。

また偶然が重なった。駆け寄り挨拶すると「控え室で待つように」とおっしゃる。
そうして久々に対面した宮司さんは開口一番に訊いた。
「沖縄の古伝研究は進みましたか?」
とっさに、私は沖縄に伝わる稲の発祥伝説である「鶴」の話をした。
南城市玉城新原には、鶴が唐から稲穂をくわえて飛んで来たという伝説がある。
そしてその稲を実らせた琉球の稲作の祖・アマスのアマミツとは、
玉城天孫氏を祀っていた神女・ウメさんの祖先であることも(ウメさんのことはこちら)。
「鶴」といえば「亀」。自ずと話は『かごめかごめ』に繋がっていった……(詳細は次号にて)。


籠神社。天照大神、豊受大神が伊勢に遷った後の主祭神は、彦火明命(ひこほあかりのみこと)。
本殿は伊勢神宮と同じ唯一神明造り。「高欄上の五色(青、黄、赤、白、黒)の座玉(すえたま)は、
伊勢神宮御正殿と当社以外には拝せられない」(「丹後一宮元伊勢 籠神社のしおり」より)。    
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真名井神社に着くころ、陽はすでに傾いていた。「もっとも遅い真夏日」だったこの10月7日、
北京都の丹後も最高気温30度を越えたが、西日にはさすがに秋の気配が。鳥居に向うと、
西日が左から当たる。つまり真名井神社は南面し、真名井原御神体山は北に位置している。
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奥宮・真名井神社。その奥にイザナミ、イザナギの大神磐座が控える。さらにその奥は禁足の聖地・真名井原御神体山。太古のたたずまい。そのエネルギーというか空気感は、沖縄の薮薩の御嶽(やぶさつのうたき)や斎場御嶽(せーふぁーうたき)や、久高島の御嶽で感じるものと似ている。
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ところで、籠神社の宮司・海部光彦氏のご実父である林兼行氏は宇佐八幡宮の旧社家のご出身で、『神に関する古語の研究』(冨山房インターナショナル)という大著を遺した。それは、大和文化の源流は古代エジプトやシュメールにあり、インド、中国、朝鮮、沖縄を経て伝わったという氏の歴史観が伺われる内容となっている。

第一章「神」、第二章「日=霊」と続き、第十章「まつり」「かんながら」に「琉球」の一節がある。
海部宮司が、私などの語る沖縄の伝承に耳を傾けてくださるのには、こうした御縁があってのことだと思う。

林氏の研究の節目となった書が『天孫人種六千年の研究』だった。
『神に関する古語の研究』のまえがき「林兼行の横顔 やまと言霊の学問的求道書」に、ご長男である海部宮司はこう記した。


 かくて昭和三年春、林は所用のため上京した時、皇学叢書編纂当時の縁で知り合った平凡社の創立者、下中弥三郎翁を訪ねた。これによって林は今迄の研究の一つの転機を迎えるのである。そのとき下中翁は一冊の本を提示してこう云った。今度愛媛の大山紙神社の三島敦雄宮司が、「天孫人種六千年史の研究」と云う大変異色ある本を出版されたが、これに書かれているように若し日本の古代文化の基層にシュメール文化が入っているとするならば、これは民族精神に影響する事非常に大きいものがある。林さんあなたがひとつこれを研究してみて呉れませんか、それが完成したならば私の社(平凡社)から出版しましょう。
 ここに林は愛媛県大三島の発行所であるスメル学会から同書を取寄せ、今迄の語源研究に併せてメソポタミア、バビロニアをも視野に入れて、広汎な研究を進めて行った。


大山紙神社の宮司だった三島敦雄氏は『天孫人種六千年史の研究』(昭和2年、スメル学会)で、「日本人シュメール起源説」を論じた。初版の奥付には「定価金五圓五拾銭」とある。
戦後GHQ焚書となったと言われ、現在は流通していないこの本を、私は2年ほど前に、偶然ある方から譲り受けた。琉球王府が史書『中山正鑑』に記した「天孫氏王朝17802年」には及ばないが、これで三分の一近くにあたる時代が少し浮き彫りになったと思ったものだ。
語り部・宮里聡さんが受け継いだ沖縄の伝承と合致する部分が少なくない。
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by utoutou | 2013-10-18 12:34 | 天孫氏 | Trackback | Comments(6)
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Commented by 通りすがり at 2013-10-23 16:50 x
「天孫人種六千年史の研究」の復刻投票にご協力下さいませ
Commented by utoutou at 2014-03-31 11:18
こんにちは。ご連絡が随分と遅くなりましたが、コメントをいただいたときすぐに投票しました。同感です。
Commented at 2017-02-27 19:47
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2017-03-01 09:34
> see-saa-mamaさん
コメントをありがとうございます。
銘苅、天久という地名はどちらも天女伝説の舞台、奇遇ですね。
また真名井、元伊勢、福知山、椿神社ときて、猿田彦神。最近こちらのブログに書いている内容と大いにリンクするのですが、まず、銘苅(めかる)と北九州の和布刈神社の和布刈(めかり)は、どちらも安曇族のことだと思っています(それ書くのを忘れていました)。
そして『姓氏録』などでも分かるように、安曇族の祖は綿津見神(海神)で、その子が猿田彦神のようです。どちらも沖縄で言う龍宮神かと。
私からしますと、こうしたコメントをいただくのも、偶然だなあと思います。偶然にしても必然にしても、自分が遭遇したモノやコトが気になれば、なかったことにはできませんよね。ピンと来た方向へと探求なさって、何か分かったことがあれば、また教えてください。笑
Commented at 2017-03-01 23:10
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2017-03-04 23:24
> see-saa-mamaさん
いろいろなことが起こりますね。沖縄は「神遊び」にふさわしい島だと思っています。こちらのブログも、今後ともよろしくお願いいたします。
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