アマミキヨの造った御嶽

アマミキヨ渡来の地、南城市玉城百名。
琉球石灰岩の断崖絶壁を、海に向って降りて行く。
海から見れば、ほとんど垂直にそびえ立つ丘陵。
その頂上一帯が「薮薩の御嶽(やぶさつのうたき)」で、
海側に、木々に埋もれた小さな穴がある。

少し前、語り部の宮里聡さんは、その穴にハシゴを見た(透視した)。
気になって少し下りてみると、御嶽へと続く降り口だった。
途中えぐれたような急斜面には、誰の手によるものか、実際に
ステンレス製のハシゴが、木の根に電気コードで結わえ付けられていた。
そこで、さらに下りると、探し続けた「幻の御嶽」に辿り着いたという。
(ブログ記事「忘れられた御嶽」はこちら

歴史本にもガイドブックにも載っていない
「ヤワシ御嶽(ヤファシうたき)」。
今は亡き神女のウメおばあが伝えた御嶽。
なぜ「ヤファシ」というのかは分からない。

ウメさんはまた、この一帯を「古島」とも「ウサチ・ミントン」とも呼んだ。
ウサチ=御先(おさき)=上古代。
アマミキヨの住居跡「ミントングスク」よりも古い住居跡。
数千年の歴史があるミントングスクより古い、アマミキヨが造った御嶽。

語り部の案内で、先日、私も「ヤファシ御嶽」への道に挑んだ。
約10分。私の御嶽参拝史上、最難関の急斜面だった。
写真の左端に写る紐状のものは岩に絡み付いた木の根。
むやみに掴むと折れてしまう。何十倍も太い木の根もあるが、
基本的に直感を頼りに下らなければならない。
語り部は「こっちですよ、気をつけてくださいね」と、眼下に姿を消した。
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この斜面一帯は「ヤファシバンタ」「クルク山バンタ」とも呼ばれた。
「クルク」とは風葬の地、「バンタ」とは崖。ミントン家の古墓もある。
ここはアマミキヨの崖葬古墓群。アマミキヨとは個人ではなく集団だった。

『琉球国由来記』が記す薮薩の御嶽。
神名は「タマガイクマガイの御威部(いべ)」。タマガイ=魂上がり。
古墓群から発したリンが燃え、闇夜に怪しくゆらめく様子を畏怖して、
人々がそう呼んでいたと伝わる。

「ヤファシ御嶽」に到着。
崖の中腹に造られた、まさしく空中御嶽。足下の平場が直径2m程度。
背後の海側は崖である。御嶽全体の高さは3mほどだが、
狭所ゆえ全体像がカメラに収まらなかったので、写真を縦につなげてみた。
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御嶽を覗き込んでいると、語り部が言った。
「この御嶽の真っ直ぐ先に、斎場御嶽が位置していると思います」

そうだったのか。
「薮薩が沖縄でいちばん古い御嶽。ここを拝まなければ、ミロクの世は開かない」
ウメさんが言っていたというその意味が、今なら理解できる。
アマミキヨが渡来、上陸した足跡を正しく悟らなければ、
祖霊を祀ることにはならないとウメさんは言ったのだ。


ヤハラヅカサの立つ海側から見た「薮薩の御嶽」。
左手斜面に「ヤファシ御嶽」がある。
そしてまた右手斜面の中腹にも御嶽があると、この日初めて知らされた。
「ヤファシ御嶽」の後、我々はまた崖を登り、改めて右手の崖を下った。
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もうひとつの空中御嶽「久高ガマ」。
足場があまりにも狭く、御嶽を見上げて写真を撮ることは無理。
振り向くと、視線の先遠くに、海に平たく浮かぶ久高島が見えた。
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そして……。
目を真下に転じれば、そこは水堅浜(みでぃきんぬはま)。
久高島の始祖・ミントンの娘ファガナシーと、従兄弟のシラタルが、
船を漕ぎ出した浜だ。シラタルとファガナシーは、
なぜ親元を離れ久高島に渡ったのか(ブログ記事はこちら)。
その理由をずっと考えていたが、ウメさんの口伝をもとに推理すれば、
ふたりはアマミキヨの足跡を逆に辿って船出した。ミロクの世を迎えるために。
by utoutou | 2013-11-08 10:50 | 御嶽 | Trackback | Comments(0)
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