CIAが封印した垣花の御嶽〈2〉

玉城(たまぐすく、沖縄県南城市)にあったCIA基地について「知らなかった!」という声を聞いたので、
該当部分をもう少し見てみようと思う。特に「Zエリア」=垣花の御嶽について。


“Zエリア”という名の秘密工作員強制訓練所
“Zエリア”とよばれる秘密工作員強制訓練所が、CSG内の山のくぼ地にあり、外界から完全に隔離された二重の金網のなかで、拉致されてきたベトナム人などアジア人、たまにはアメリカ人までが、CIAの秘密工作員になることを強要されている。目かくしをされて連れ込まれることもある。約十五年間もここに閉じ込められていた中国人もある。“Zエリア”は約1〇〇〇平方メートルあり、三棟の平屋の収容施設があるが、この収容施設内のすべての会話は、ここをおとずれた米人保安部員らと収容者との会話も含めて、ずっと離れたCSGの本部ビルで聴取されるしくみになっている。ここには、Z記号のついた特別のパスをもった者以外は、いっさい立ち入ることができない。“Zエリア”とよばれる秘密工作員強制訓練所のことは、共産党調査団が明らかにするまでは、存在自体が秘密のベールにかくされたままであった。
 約五五万坪という広大な面積を占めるCSGのなかには、沖縄中の多くの人びとが信仰の対象としている拝所が数ヵ所ある。アメリカ当局は、それらの人びとが拝礼のためにそこをおとずれるさいには、きびしい警備態勢をとりながらも一応許可しているが、垣の花御嶽とよばれる拝所だけはこれまでただの一度も許可されたことがない。垣間の花御嶽は、問題の“Zエリア”の内にあるものとみられている。
(『調査報告 沖縄米軍基地』('72年、日本共産党国会議員団篇)より)

CIA基地の撤去が決まったのは、'71年10月、国会で共産党議員が質問したその当日のことだった
という経緯もこの本には記されており、「キャンプ知念」が秘密基地とされた背景には日米の密約
があったのでは?と思わせて、秘密保護法案でヤキモキする今、改めて読み返すとなおさら興味深い。


琉球ゴルフ倶楽部の正門。琉球の赤瓦が美しく、名門コースらしいただすまい。
場内には英祖王統の王墓が3ヶ所ある。王墓や御嶽はこのゴルフ場に守られてきたとも言える。
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ところで、垣花の御嶽とは、どのような場所なのか。
玉城の伝承を継いだ神女おばあは「ヤファシの御嶽と同じくらい古い御嶽」と言った。
御嶽であるからには墓地でもあるはずで、それならば誰が埋葬されているのか。
何しろ古代のこと、はっきりしたことは分かっていない。が、とにかく「アマミキヨ」ではある。

そこで、CIA基地もあった場所の地形を概観しながら考えた。
これは、玉城のちょっと古い地図(大正8年、参謀本部・陸地測量部)。赤と青の印は筆者による。
中央の青い星印が「垣花の御嶽」。その右下の青丸がミントングスク。海沿いの青丸が薮薩の御嶽。
逆に、アマミキヨの渡来した薮薩の御嶽から一直線に登るとミントングスク、そして、垣花の御嶽。
赤丸は、左から糸数城跡、玉城城跡、垣花城城跡。
3点をつなぐと、現在、観光客にも人気のグスクロード。大正時代からこの道があったのが分かる。
右上の青丸は、斎場御嶽のある南城市知念久手堅(くでけん)。
そのあたりから左の赤丸の南城市玉城糸数まで、鳥が羽根を広げたように見える白い部分は、
琉球石灰岩でできた玉城台地(私の勝手な命名)の、いわば屋根の部分。
長さ約10km。一説にはギネス級の1枚岩である。
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地図を見ると等高線との関係から、グスクはいずれも玉城台地の海の見える突端にあるのが分かる。
グスクとはアマミキヨが造った要塞なのか? あるいはもっと古代の高地性集落の聖域だったのか?

「垣花の御嶽」は玉城の随一の水源地かと思ったのは、1枚のスケッチを見ていたときだ。
鎌倉芳太郎氏の著『沖縄文化の遺産』(大正15年)に、
玉城を調査して描いた3㎝四方ほどの自筆イラストがあった。
図中、上に描かれているのは玉城台地(の一部、ミントングスクあたり)の断面図。
鎌倉氏はこの著書で、ミントングスクは丘陵の出っ張りで「太陽の神殿」だと記していたのだった。
図の下は、稲作の発祥地・受水走水と、三穂田(みーふーだ)の平面図。  
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そして2年前、初めて垣花の御嶽に参ったとき、その一帯に確かに川泉(カー)の跡があるのを見た。
稲作渡来民であったアマミキヨは、川をさかのぼる民でもあったか……。
by utoutou | 2013-12-01 17:58 | 御嶽 | Trackback | Comments(2)
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Commented by at 2017-08-22 19:31 x
utoutoさん、こんにちは(>∀<●)ノ 来月またロードトリップに出る前に追跡アマミキヨを読み直してます!そして、この回のブログの最後におおおと思いまして。アマミキヨは川をさかのぼる民…。私なりに古代の神話などなどを理解する上で、山の上に神様が降臨するということは実際には本当に天から山頂に降りたったのではなく、遠い場所からまずは海にたどり着き、その後乗ってきた舟を曳舟して川の上流までのぼっていき、その山に君臨したからなのかなと思ってます。出雲の山に船という文字が使われるのはそのせいでスサノオが降臨した船通山は斐伊川上流の山ですので、スサノオも舟をひいて海から内陸部に入っていったのではと思ってます。海に生きる民族に取って舟は宝ですので、海に置き去りにするのではなく常に自分のそばに置いておくために川を使って内陸部まで持って行ったと思ってます。海の民は必然的に舟と一緒に川をのぼっていく習性があったんじゃないかとここ数年思っていて、ブログを読み返して、おおおと思いましたので思わずコメントしてしまいましたー!
Commented by utoutou at 2017-08-23 10:37
> 寅さん
こんにちは。ご旅行、楽しみですね。海人は船を曳いて川を遡り山へ登ったと、私も同じように考えます。沖縄でも南城市の島添大里グスクのある大里は、雄樋川とか国場川とか何本もの大きな川の源流にあたりますよね。
あの美作のサムハラさんも猿田彦大神かなと思いますが、元々あったのは金毘羅さん。東と西に川が流れている山の上でした。そもそも「津山」って「海山」の意味ですよね。加茂も中原も何やらイミシンです。
そう言えば、長田神社の元宮のことを書いたとき、美作との関係を思いましたよ。そこは道真さんが立ち寄ったという神戸市須磨区なんですが、海岸近く。すぐ前に旧山陽道が通っていますが、道は途中で分岐して美作まで続きますね。あと大阪天満宮は道真さんが創祀する以前から八街彦・八街姫が祀られていたと、語り部さんがいつだったかトートツに言ったのですが、調べると本当にそうでした。どうもやはり道真さんは猿田彦さんの縁故を辿ったと思われます。。
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