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聞得大君のナーワンダーグスク〈1〉

斎場御嶽の奥にあるナーワンダーグスク。
今では忘れ去られたローカルな御嶽
かと思いきや、なんと、
琉球国王と聞得大君が共に祈願した国家的聖所だった。

ナーワンダーグスクを
「斎場御嶽の祭場としての古態」として挙げたのは、
伊従(いより)勉氏(京都大学大学院、人間・環境学研究科教授)。

『琉球祭祀空間の研究 カミとヒトの環境学』
(平成17年、中央公論美術出版)で、
『おもろさうし』にある一遍のオモロを参照して、
次のように指摘した。


(オモロは)
「尚真王時代の一五〇〇年に八重山征伐(「戦船旅」)
を前に斎場御嶽で謡われたもの」で、
「大君(オナリ)と大君が守護する国王(エケリ)が揃って、
斎場御嶽の「寄満(ゆいんち)」の聖所に隣席して、
はるかかなたの八重山に遠征する兵たちに
戦の霊力を授かるよう祈願している。」


なぜなら、
寄満とナーワンダーグスクは1ユニットだからだと。
「寄満という聖所は、周囲の内海から
目立って視認できる一対の巨岩
「ナーワンダー」の足下にある聖地なのである。」




↓ナーワンダーグスク(矢印の山)を、
目を凝らしてよく見ると、一対の巨岩だと分かる。
イナグ(女)ナーワンダーとイキガ(男)ナーワンダー。
その下が斎場御嶽の寄満、
大庫理(うふぐーい)、三庫理(さんぐーい)。
その右、台形状の稜線は「守礼カントリークラブ」
のあるスクナムイ(森)。

去年の夏至の日の夕景。
久高島のアカララキ前からの斎場御嶽。
聞得大君のナーワンダーグスク〈1〉_a0300530_172556100.jpg



反対に斎場御嶽の御門口(うじょーぐち)から、
5.5km先の久高島を見る(先月)。
写真の中央、
白い浜の左がアカララキ(アカラ森)のある漁港。
王府時代、聞得大君の船が着く
「君之泊」(ちみんとぅまい)と呼ばれた。
聞得大君のナーワンダーグスク〈1〉_a0300530_17254792.jpg



ナーワンダーグスク(西)、
寄満、大庫理、三庫理、そして久高島(東)。
太陽の昇る東(あがり)に向かい琉球王府ゆかりの聖所が並ぶ。
※御嶽内MAPは南城市HPから拝借。
赤線の矢印と文字は加筆。
聞得大君のナーワンダーグスク〈1〉_a0300530_17261842.jpg



『ここから先は危険です。一般の方はご遠慮ください』の看板が立つ
寄満前のこの山道を入り、昔は100m離れたナーワンダーグスクへと登った。
人の波が途切れたら禁を犯してでも登ってみたいと何度か見上げたが、
ハブが出る、遭難する…の2点がアタマをよぎったので止めにした。

「こちらの山の上には古代の風葬墓があります。それは男女別で…」
この日、斎場御嶽のボランティアガイドさんが観光客に説明していた。
聞得大君のナーワンダーグスク〈1〉_a0300530_1728491.jpg

by utoutou | 2015-08-23 11:59 | ナーワンダーグスク | Trackback | Comments(6)
Commented by ニユラカユラ at 2014-04-07 21:17 x

更新ありがとうございます。

いつも添付された写真が綺麗なので、心癒されています。

自分が斎場御嶽を訪れた時は雨の中で、これも情緒があって良いかな?など思ったものでしたが(笑) 自分も「この先関係者以外…」の看板の先行きたいなぁ、と傘をさしながら思ったものですが、雨天なのと観光客の前で地元民が禁を犯すわけもいかず、今縁がないものを無理しちゃ怒られるだろう(いろんな意味で)と思い断念して雨の斎場御嶽を満喫しました(^_^)

写真が良いお天気そうなので、ナーワンダーグスクへの冒険写真も楽しみにしています。
Commented by utoutou at 2014-04-17 03:41
ニユラカユラさん コメントありがとうございます。はい、訪沖に向け、ナーワンダーグスクの予習をいろいろしました。思い出したこともあり。。語り部が言っていたのですが、玉城の神女おばあたちは、ナーワンダーグスクのことを「裸世の時代の御嶽」と言っていたそうです。だとすると、とてつもなく古いですね。
Commented by ニユラカユラ at 2014-04-18 04:39 x

ありがとうございます。

沖縄のルーツ、日本のルーツ、世界史的な人のルーツ。歴史というのは一部勝者(強者)に都合のいい歴史ですから、いろいろ隠されたものもあるようですね。

裸世ですか。それで生活できるくらい当時も温暖な気候だったのでしょうね。

ATL(成人T細胞白血病)ウィルスキャリアというものがあって、それを日本全土で調べてみるとアイヌと琉球民族に多く、大和民族にはほとんど発見されないか少数だそうです。

世界的に見るとユーラシア大陸ではほとんどゼロ(最新の情報ではありませんけれども)だそうですから、大和民族はユーラシア系。アイヌ、琉球民族は別系統のルーツを持つということなのでしょうか。

逆に言えばアイヌ、琉球民族は同じルーツを持つ同族の可能性があり、日本の北と南に追い払われた先住民族(国津神)という構図も成り立ったりするのかな?など考えてみたりします(笑)
Commented by utoutou at 2014-09-03 14:56
返信がすっかり遅くなり申し訳ありません。ナーワンダーグスクの記事を振り返っていて、いただいたコメントに気がつきました。4ヶ月も経ってまして、失礼いたしました。先日、遂にナーワンダーグスクに参りました。いろいろな意味で想像を絶する御嶽。聖地の条件は巨岩だと言わんばかりの迫力です。ここにも隠された歴史があるのだろうと感じました。
Commented at 2016-10-08 20:32 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2016-10-10 10:10
> Osamuさん
初めまして。コメントありがとうございます!
そうでしたか。定期的に道を開ける方がいらっしゃるのだろうとは思っていましたが…。
久手堅からの道筋は、あの世界最古の釣り針が出たとニュースになったサキタリ洞(ガンガラーの谷)あたりと、地形や生態系がとても似ている気がしますね。川を溯ると源流はおそらく大里で、玉城城やミントングスクとも一体となっているのではないでしょうか。
今後ともよろしくお願い致します。

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