聞得大君のナーワンダーグスク〈3〉ここは日巫女の里

ナーワンダーグスクは、
王城のあった浦添からも首里の地からも見えた。
日の昇る東方海上に浮かぶ久高島。
その視界に同時に映る、
知念半島のランドマークである。
一対の巨岩は、農耕時代以前の生殖信仰の証し
との説もあり、歴史の深さは計り知れない。



3月中旬の日曜日、まるで夏! の空を
ハングライダーが飛び交っていた。
最寄りの知念岬公園がテイクオフポイント。見物客も多い。
斎場御嶽の真下にあたるこの位置では、
近すぎてナーワンダーは見えない?
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首里の東端(城とは約1㎞離れている)
に位置する弁が岳(高さ165m)。
国王の祈願所として造られた大嶽と小嶽があり、
こちら小御嶽付近の沖縄神社。
大嶽は久高島への、
小嶽は斎場御嶽への遥拝所として機能したという。
弁が岳はいわば太陽の神殿だが、
現在は建造物が多くて、東方は見えない。
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さて、斎場御嶽の「せーふぁ」の意味を、
地元の歴史家・新垣源勇氏は語った。
し〜=大きな岩
え〜=穴
ふぁ〜=地名に付ける接尾語。だと。


久手堅にあるお宅に伺って話をお聞きした3年前、
私はその「大きな岩」と「穴」を
三庫理のことだと解釈していたが、
ナーワンダーのことを指していたのかもしれない。


この話をしている間、新垣翁の目は、
テーブルの一点を凝視して動かなかった。
「せーふぁ」の意味を改めてお聞きする間もなく、
1年後、翁は他界された。96歳だった。


新垣源勇氏の父上・新垣孫一氏に案内され、
ナーワンダーグスクを訪れたときの話が、
吉野裕子氏の著書『扇』(1970年、学生社刊)にある。
孫一氏によれば、
「イナグ(女)ナーワンダーの岩下には穴があり、
その穴の中から、だいぶ前に
たくさんの人骨が織機などとともに出土した」という。


なんと、織機!?
この地で、棚機津女(たなばたつめ)の行事を
思わせる埋葬品が出たとは驚きだ。
七夕の起源のひとつとされ、
記紀では木花咲耶姫とも、天照大神とも例えられる。
その穢れなき巫女が、
神衣を織りながら神の降臨を待ったという七夕は、
沖縄の旧盆の一週間前にあたる。


昨年、ここ久手堅側から山に入ろうとしたが、
ナーワンダーには辿り着けなかった。
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久手堅(くでけん)という地名は
「オコデ」に由来するとも、源勇氏は言った。
コデ(=くで)とは門中の神役のことで、
「クディ」「クディングァ」とも呼ばれる。
門中の人々はこの神女(かみんちゅ)を媒介
として祖霊神を、そして太陽神を崇めた。
また、久手堅の堅(けん)とは君(くん)の転訛で、
こちらも神官の意味だという。


ナーワンダーグスクのある久手堅は、
太陽神を祀りその霊力を戴く日巫女の里。
男神と女神=ヒコとヒメを祀った集落は、
古代倭(ヤマト)の名残りを今に留める。


ニライカナイ橋の途中から、
知念半島の台地の尾根を見上げる。
王朝時代、
お新下りに臨む聞得大君一行は、首里からの往路、
この尾根伝いに斎場御嶽(右方向)へと進んだ。
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by utoutou | 2015-08-23 12:04 | ナーワンダーグスク | Trackback | Comments(2)
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Commented by ニユラカユラ at 2014-04-18 04:59 x

イナグ(女)ナーワンダーの岩下の穴の中に人骨とはまさに亀甲墓の元型なんだなと思いました。

観光客の方には沖縄独特のお墓(亀甲墓)は亀の形をしたお墓と紹介されていますが、実は母から産まれて来た人間が死んだ後に、再び母の元へ帰る意味で子宮を意味するんですよとお話したらビックリされていました。

また一緒に入っていた織機。日本に機織りを持ち込んだのは渡来人の秦氏だと言われていますから、沖縄経由でも秦氏が渡来していたと考えられる証拠となるのでしょうか。

アマミキヨ、シネリキヨの集団は渡来人・秦氏の集団でもあったのでしょうか。おもしろいですね。
Commented by utoutou at 2014-07-11 12:41
こちらへの返信が遅くなりました。久高島には「伊敷浜に流れ着いた五穀の壷をハタス原に埋めた」という伝説がありますね。「秦州」と書くのかもしれないですね。
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