甦る古代琉球〈2〉アマミキヨの神紋

赤瓦の屋根を頂く大きな神屋に、その神紋はあった。
ナーワンダーグスク・斎場御嶽から西へ行くこと、およそ8km。
南城市大里。大里城跡の南に隣接する西原集落。
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ご神壇の右、壁の高い位置に扁額は掲げられていた。
最初、菊紋を時計の文字盤と見間違えそうになったが、文字がある。
上「天大師神紋」、下「元祖東大里ガジマルヤー根屋」平成10年1月1日。 

「天大師」とは、天太子の宛字か。
阿摩弥姑(アマミク)志仁礼久(シネリク)から生まれた天孫氏の系譜は
『琉球祖先宝鑑』で見たことがある。そのすぐ後に天太子の名はあった。
そして「元祖」「根屋」のダブル表記。こちら屋号ガジマルヤーが、
大里西原の集落の宗家であり、アマミキヨ神の直系であると名乗る意匠だ。
菊に三つ巴。確かに、ミントングスクのアマミキヨ神紋と似ている。
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下はアマミキヨの居住地と伝わるミントングスクの神壇に刻印された神紋。
いつ頃から存在したのかは不明だが、戦後、神屋を建て替えた際に、
ご当主自ら紋の形と色を注文したと、私はミントン門中の方に聞いた。

菊葉の枚数(大里は二十四菊)、三つ巴(大里は琉球王朝尚家と同じ左巻き)、
デザインに微妙な違いはあるが、どちらもアマミキヨ族の出自を暗示している?
菊紋と巴紋の重ね合わせは、天津神と国津神の琉球的な和合を思わせるが…。
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大里はミントングスク(図の10)のある玉城から、車で20分とかからない距離。
知念岬の斎場御嶽(図の7)とを結ぶと、ちょうどトライアングルな位置関係。
馬天港を上にした細めな♥型の地帯が、琉球石灰岩からなる「知念台地」だ。
語り部はミントンと大里が「(血縁として)繫がっている」と言ったが、
地形的にもなるほど、きれいに繫がっている(「なんじぃのハート」についてはこちら)。
その♥地帯を西に突き抜けると、右が浦添、左が首里、中世以降の王の在城となる。
(『沖縄大百科事典』より「東廻り」の地図を借用、赤字と○は私の加筆)
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大里城跡の正門に立つ周辺MAP。神紋を伝える「ガジマルヤー」は左下の集落内にある。
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(看板の説明)「大里城跡は、大里村字西原の北側、標高約150mの琉球石灰岩の
丘陵地帯に形成されている。北側から西側にかけて急峻な崖状をなし、崖を背に
堅固な城壁と天然の地形を巧みに利用したグスクである。
この城跡は別称「島添大里グスク」とも呼ばれ、当主であった南山王・島添大里按司
によって築城されたと「中山世鑑」の中に記されている。また尚巴志が最初に攻略
した城でもあり、後に三山統一のきっかけともなり歴史的に重要なところである。
城の規模は東西に長く延び、北側の最奥部の本丸跡を取り巻く形で南側、東側に広く
連敦式の城壁が連なり、石積みは野面積みが大半である。
1991年の村内遺跡分布調査の際試堀した結果、本丸跡から掲袖陶器、中国青磁、グスク
土器、青銅製の飾り金具、丸玉、鉄釘などが出土し14世紀から16世紀の資料となっている。
by utoutou | 2014-05-04 09:22 | 天孫氏 | Trackback | Comments(0)
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