琉球八社のひとつ、安里八幡宮(那覇市安里)。
この神社を創建した第一尚氏琉球王朝最後の王・尚徳(在位1435年〜)に ついて書こうと画像を探してしていたら、昨年2月に撮ったコレが出てきた。 那覇市のゆいレール安里駅の約500m北。さらに北から安里八幡宮に被さるように建つ のは、副都心おもろまちに建築中だった地上30階建てのマンション・リュークスタワー。 右がTHE EAST、左がTHE WEST。左のほうは既に完成して完売、入居済みとか。 右は、なんとちょうど本日締め切りで来週末に何期目かの入居者抽選(へえ…人気だな)。 いきなり脱線してしまったが、さて。尚徳王の時代、安里はまだ海(河口)だった。 2千の兵を率いて首里城を出た若き王・尚徳が、鬼界島征討へと出帆したのが、この地。 やがて戦勝。それを機に1457 〜64年に、八幡大菩薩を勧請して社を創建した(『琉球国由来記』)。 伝承によればその後、29歳の尚徳王は恋に落ちた。相手はクンチャサ(国笠)ノロ。 戦勝報告のために渡った久高島・大里家の美しく霊力(しじ)高い神女だった。 尚徳王は島を離れがたく、しばらく滞在する間に、首里城ではクーデターが勃発。 王位を失った尚徳は帰路、与那原沖で憤死。クンチャサノロも自害した。 という悲恋の物語は同時に、第二尚氏琉球王朝、幕開けの物語でもある。 クーデターに成功して即位、尚円王となったのは尚徳の側近だった金丸。 久高島の旧家・大里家は、イザイホーの祭祀場だった久高殿の並びにある。 屋根が見えている家は「根ウプラトゥ(大里の久高方言読み)」。 その右にもう一棟、「五穀ウプラトゥ」と呼ばれる大里家がある。 「根(にー)」とは「元祖」の意味。拝所になっており、県内各地から参詣客が訪れる。 実はこの大里家、私が先日訪れた大里の西原集落と縁の深い家であるらしい。 名前も同じこの大里家には、たいへん興味深い伝承がある。曰く、 「神世の時代より何度も、大里の大世(ウフユー)家から久高島に下りている」。 「ミントン家から渡ったシラタルとファガナシーの長男が、後を継いだ」。 これらの口伝は、いったい何を意味しているのだろうか。 大里家が途絶えそうになるたび、名だたる旧家から後継者が送られた理由とは? そのとき、ひらめくものがあった。 世紀の恋に落ちた尚徳王とクンチャサは、実は同族の身の上だったのか! 語り部に連絡すると、逆に矢継ぎ早に訊かれた。 「大里西原のガジマル家の神紋は何でした?」 「三つ巴に菊…」 「三つ巴を神紋とする神社は?」 「もちろん八幡宮です…」 「尚徳王の亦の名は?」 「八幡太郎…」 「安里八幡宮のご祭神は?」 「神功皇后、応神天皇、玉依姫…」 「神功皇后は、どこの娘ですか?」 「父方は、大和の古代豪族・和爾(ワニ)氏…」 私はそう考えている。 「では、神紋のあったガジュマルヤー(家)の正式名称は?」 もう一度、あのアマミキヨの神紋(の画像)を見る。 下に印された文字は「元祖 東大里 ガジマルヤー根屋」 語り部は言った。 「東大里(あがりうふざと)とは、東大の里という意味ですよ」 そうだったのか! 東大、東大族、東大神族、すべて「シウカラ」のこと。 それは契丹(きったん)王家の史書『契丹古伝』に出てくる古代倭族。 ワニ氏は超古代、東大神族(シウカラ)の一種族だったと綴られている…。
by utoutou
| 2014-05-10 12:39
| 天孫氏
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Comments(2)
Commented
at 2018-09-24 00:28
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
by
utoutou at 2018-09-24 08:33
> honokkoさん
こんにちは。コメントありがとうございます。「世界の枠組みが絡んで」というのは、どのような意味でしょうか? 何か少し穏当でない印象を受けますが、笑、よろしかったら教えてください。
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by utoutou カテゴリ
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