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甦る古代琉球〈8〉斎場御嶽の「太陽と月」信仰

聞得大君の「お新下り」(就任式)の中心的な儀礼「お名付け(なーじきー)」は、
斎場御嶽の大庫理(うふぐーい)で行われた。国王のオナリ神(守護神)としての認定式。

その大庫理で、ちょうど1ヶ月前、祈りを捧げるウチナーンチュの女性たちを見た。
瓶子(ビンシー。お線香、盃、米、塩、お供え物を収納する木箱)を運んできたのか、
キャリーバッグが傍らに。「ウートートー(尊い神様)」と祈る声がする。
好きなウチナーぐち(方言)。私のブログネームでもある。
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さて「尊い神様」とはこの場合、どの神のことか。それは沖縄から東京に帰って
からも胸にくすぶり続けた疑問だった。
大庫理→寄満→ナーワンダーグスク→大里の方位。その祈りの先に座す神とは?

『琉球国由来記』によれば、聞得大君が祀る神は「御日御月の御前」と「御火鉢の御前」…。

すると、何日か前、語り部から電話があった。
「チチンガーです! チチンガーにおられる神が“月の神”だと思い出しました」
チチンガーとは、大里グスクに隣接する井戸。漢字では「包井」と書く。
木立の向こう側が大里城趾、手前がチチンガー。そこに月の神様がいたとは。
「チチンガーの本来の意味は“月の神”だと、昔は言われていたんです」
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「では聞得大君をオナリ神と認定したのは“月の神”ですか?」
「はい」と、語り部。
そういえばチチンガーを覗くと、紙垂(しで)が下がっていた。
沖縄では今でも井戸や川泉は聖所として尊ばれるが、紙垂を見たのは初めて。
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チチンガーは地下8メートルの位置にある掘り井戸。石段を43段も降りる。
築造は14世紀頃と推定されているとか。説明板には次の一文があった。
「井戸が城壁外にあると清水が沸き出し、城内に取り込まれると水が枯れたとのこと」
島添地方を支配した大里按司にも独占できなかった、神の棲む井戸…。
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井戸まで降りる途中で振り返ると、まさに城壁のような石積みの佇まい。
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語り部は続けた。
「“月の神”を久高島では、チチヤ大主(うぷぬし)と呼びました。
何か久高島の本で調べてみてください。記録があるはずですから」

確かに。比嘉康雄氏の著書『神々の原郷 久高島』にそのくだりはあった。
「チチヤ大主 大里家から出自。月の大主と言われている。本来は女神であるが、
1976年頃まで男性が神職を務めていた。」

月の神、本来は女神。久高島→斎場御嶽→ナーワンダー→大里という東西ライン
に祀り崇められていたのは、太陽と月。陽と陰。男神と女神だった。
聞得大君と国王というツートップによる神託政治、そして「日月信仰」だったであろう
古代琉球の祈りの原風景をここに見る思い。
聞得大君が月の神に祈る聖所は、東方の聖地・斎場御嶽の「大庫理」。
国王が東方の朝日に祈るのも首里城正殿2階の大庫理。同名で方位的に向き合う。

昨年の夏至の朝日(於・那覇市の瀬長島ホテル)。ところで、沖縄のホテルでは、
夕陽の見える西側の部屋が人気らしい。朝日の昇る東側は売れ残るのか格安。この日もそうだった。
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by utoutou | 2014-05-26 10:40 | 天孫氏 | Trackback | Comments(2)
Commented by にるやかなや at 2014-06-02 20:35 x
神々しいお写真ですね。
Commented by utoutou at 2014-07-05 01:38
にるやかなやさん ありがとうございます。お返事がたいへん遅くなりまして、申し訳ありません。
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