ナーワンダーグスク登頂〈2〉消えた女神

イナグ(女)ナーワンダーグスクの天頂
に祀られた鏡を拝するべく、
女神岩の絶壁を登ってみると、
それはステンレスのカーブミラー状のものだった。
足のあるスタンド型。特製か。
案外と新しいように見える。

かつて荒俣宏氏の著書に掲載されたと同じ
ものかどうかは分からない。

確かなのは、古来の信仰を伝える誰かが、
この御嶽を管理しているという事実。
伊達や酔狂で鏡を祀るほど、
ナーワンダー天頂への道は平坦ではなかった。


絶壁に挑みつつ、
ジーパンのポケットに入れたカメラ(スマホ)が、
スポっと滑り落ちないかと心配し、
普通のスニーカー履きなのを後悔した。
登るのに両手を空けようと、
水入りのペットボトルは、麓の木陰に置いた。
そして語り部の指導通り、神への挨拶を唱えながら登った。



直径約40㎝の鏡の前には香炉と石が。
こちらもさほど古くはないようだ。今次の戦争中、
ナーワンダーは日本軍の砲台として占拠されたというが、
戦後再び、この自然造形の神壇で、古代祭祀は甦った。
a0300530_1163085.jpg


絶壁に張り付いたまま背伸びすると、
斜め右(北東)の先に久高島が見える。
久高島と斎場御嶽の位置関係は過去ログに詳しいが、
その姿勢で左に振り返れば、
6〜7m下の祭祀場跡に香炉が三つ
(下の画像は真ん中のを間近から撮ったもの)。


祭祀空間を囲んで緩やかにカーブして立つ岩壁、
その裾に一直線に並んでいる。
香炉の向きについては、
次回以降で考えていくとして…。
痛切に感じるのは、
この古代祭祀場を秘かに守ってきた人々の信仰の力だ。
a0300530_1181913.jpg

もちろん時代によって、
聖地としての機能は変遷したと思う。
ナーワンダー「グスク」と名が付くので、
三山時代には城として使われただろう。
天頂からは、琉球王朝第一尚氏の本拠地だった
佐敷を見下ろせる。第二尚氏時代には、
王族の久高行幸という渡海儀礼を見守る
守護霊(なでるわ)であったことは
『おもろさうし』にも唱われている。


時の権力者たちは、
ニライカナイの東方海上にもっとも近い斎場御嶽と、
周辺に残る古代からの地方祭祀を内包しつつ、
中央祭祀をかたちづくった。
それゆえ、古層においては、
ナーワンダーの祭祀は守られてきた。


このナーワンダーが歴史から消えたのは、
私は第二尚氏時代だったと思う。
羽地朝秀の財政改革「羽地仕置」により、
王の久高島参詣が中止された17世紀後半。


1677年、王府は聞得大君の継承を
王の姉妹(血縁)ではなく王妃に限る決定をした。
それは、姉妹が兄弟を霊的に守護した古来の
「おなり神」信仰との訣別を意味した。  
その祭祀場・イナグナーワンダー(女神、月の神)は、
王権祭祀から消えた。



ナーワンダーグスクの麓に埋もれる
「女神」の神石に、思わずutoutou(合掌)。
a0300530_1184299.jpg

※投稿日が2015年8月になっているのはカテゴリを変更したためで、
ナーワンダーグスクに登頂したのは、'14年8月27日のことでした。



by utoutou | 2015-08-26 13:18 | ナーワンダーグスク | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://mintun.exblog.jp/tb/20169747
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< ナーワンダーグスク登頂〈1〉新... 沖縄の天女伝説 ② 天女神加那... >>