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ナーワンダーグスク登頂〈3〉王の船を守れ

ナーワンダーが王権祭祀から消えたのは、
1677年ごろだと思う。
王府が国王の久高島行幸を廃止したのが、
1673年だった。

尚真王時代に聞得大君制度が
成立してから200年近く。
その初期、国王の航海安全祈願が、
斎場御嶽の寄満(ゆいんち)で行われたのは、
そこがナーワンダーを見上げる拝所だったからだ。
王の渡海が廃止されたとき、
王権にとってナーワンダーの霊的価値は失われた。


尚真王と聞得大君が、
八重山征伐(1500年)の戦勝を祈願した
「おもろ」(謡)には「なでるわ(=ナーワンダー)」
の文字が見える。


「おもろ34 きこへきみおそいが節」
(外間守善氏校注「おもろさうし」岩波文庫刊を参照して意訳

聞得大君ぎや 斎場嶽 降れわちへ
(聞得大君が斎場御嶽に降り給うて) 
うらうらと 御想ぜ様に ちよわれ
(穏やかに物思うようにあられる)
嗚響む精高子が
(霊力高い聞得大君が)
寄り満ちへに ちよわれ
(寄満に坐しておられる)
(中略)
威部の祈り しよわちへ
(神聖なる聖所で祈り給う)
浦々は寄せて 司祈り しよわちへ
(国中の岬を代表する拝所で神女が祈り給う)
撫でる曲は寄せて
(なでるわ(霊的守護力)を集めて)


寄満で聞得大君が祈願している間、
ナーワンダーの天頂では、
司(久手堅ノロ)が祈っていたのだろうと、
ここで風を感じたとき、ふと思った。


巨岩の真下に位置するのは寄満、
その先に大庫理、三庫理、5.3㎞先に久高島。
ナーワンダーグスク登頂〈3〉王の船を守れ_a0300530_830889.jpg

斎場御嶽の神女(久手堅ノロ)の様子が
リアルに描かれた「おもろ」もある。


「おもろ853」※こちらも( )内は私の意訳

せぢ新神泊 雲子寄せ泊
(霊力新たな港、宝の集まる久高島の港から船が出る)
波風 和やけて
(波風を穏やかにして)
斎場嶽 君々しよ 守れ
(斎場御嶽の神女たちよ、王の船を守れ)
(中略)
風直り 煽らちへ
(ノロは鷲の羽の髪飾りを風に揺らして)
赤の御衣(あかのみそ)煽らちへ
(美しい衣を風になびかせて)
(後略)



天頂には畏れ多くて立つことはできなかったが、
上の画像を撮った姿勢のまま、右手に見える海を撮った。
もし久手堅ノロがここに立ち、祈っていたなら、
その姿は久高島を出た王の船からも見えていたはずだ。
ナーワンダーグスク登頂〈3〉王の船を守れ_a0300530_8303864.jpg

王権祭祀から解き放されたとはいえ、
ニライカナイを望む
東方(あがりかた)が聖域であることに違いはなかった。


  「おもろ847 あけしのがこばもりかなもりが節」
にそれが伺える(意訳)
      
聞えあけしのが
(名高い神女あけしのが) 
斎場嶽 降れわちへ
(斎場御嶽でお祈りをしている)
蜻蛉御衣 召しよわちへ
(蜻蛉の羽のように美しい衣を着て)
風直り 差しよわちへ
(鷲の羽の髪飾りを頭に差して)
波轟ろ 海轟ろ 押し浮けて
(船々が海に浮かび)
百名の 浦走りが 見物
(百名の浦を巡航するさまは見事)
(後略)



斎場御嶽の海側にある知念岬公園から見た
百名・玉城方面(6月に撮影)。
この内海(イノー)を見下ろし、ノロは風を操った。
ナーワンダーグスク登頂〈3〉王の船を守れ_a0300530_8312561.jpg


※投稿日が2015年8月になっているのはカテゴリを変更したためで、
ナーワンダーグスクに登頂したのは、'14年8月27日のことでした。
by utoutou | 2015-08-26 13:34 | ナーワンダーグスク | Trackback | Comments(0)
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