伊雑宮へ〈3〉伊勢の元宮

ゴンバ団扇の模写が置いてあった「御師(おし)の家・森家」
御師とは中世後期から、寺社に所属して信仰を広めた神職のこと。

伊雑宮の御師は、一時は60軒あったというから隆盛のほどが偲ばれる。
森家も先祖代々伊雑宮の御師を務め、廃止となる明治4年まで、
料理処・宿泊処も兼ねて参拝者の接待をしてきたそうだ


こちら伊雑宮(いぞうぐう)の正殿
向って左に、遷宮を待つ新殿が建つ。
「伊雑宮のしおり」によれば、創祀は約2千年前の第11代垂仁天皇の時代。
皇大神宮鎮座の後、垂仁の皇女である倭姫命が御贄地
みにえどころ、皇大神宮へ奉る御供物を採る所)を定めるため、
志摩国をご巡業の際に、伊雑登美命(いざわとみのみこと)が出迎え、
この地に伊雑宮を創建。皇大御神の御魂を祀った。
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参拝の後、通りに出て隣接する御師の家に移動、
ゴンバ団扇について森さんに聞いた
ンバ団扇が「軍配団扇」の転訛であることは、既に調べがついていた。

「太一」について尋ねると「豊穣と安全航海を祈願するもの」という。 
中国の解釈では北極星で、不動のもの、元になる星。
意訳すれば、天照大神とも高皇産霊尊ともいえますが、
信仰上の最高神のことですね」と森さん。

  
ゴンバ団扇を見ているうちに
千石船の上に赤い宝珠が描かれているのに気がついた。
祭りで奪い合うのは実はこの宝珠で「青の峰のキンノタマ」という。
青峰山と海上守護の霊峰で、十一面観音が祀られる正福寺がある。
勝ち取った漁師たちが、宝珠を船霊(ふなたま)とする

毎年6月に行われる御田植祭り。
宝船の上に赤い宝珠が見える。
↓画像はwebサイト日本の祭りから拝借。
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宝珠で思い出すのは、伊勢の内宮と、京都丹後の籠神社
おのおの社殿高欄は五色の座玉(すえだま)を戴く。
↓こちらの画像は籠神社のHPより拝借。
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青・黄・赤・白・黒。五色のなかで赤の座玉、そして
太一の船が冠する赤の宝珠は、いずれも「火の神(霊)」なのだろう
太陽神・天照大神である。

同時に、初代琉球の国王・舜天(1166年〜1237年)を思った。
舜天の石墓も、宝珠を拝していた。

アマミキヨに始まる天孫氏王統25代が逆臣によって滅ぼされ、
国が混乱の極みに陥ったとき、天下統一を果たしたのが舜天。
源為朝と大里按司の子と伝わり幼名は尊敬(ソントン)。

「ソントン(ソントノ)」とは「若き太陽王(てだこ)」のこと。
舜天の墓は、アマミキヨにゆかりの大里(南城市)にある。
宝珠は、太陽神・天照大神の象徴だと思う。
沖縄の民間伝承によれば、天照大神とは男神である。

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ここ伊雑宮にも「源」の痕跡が残っている。
1187年、源頼朝が義経追討祈願にと、
白馬と砂金20両を献上したと、森さんは言う。

「ところが、奉献された白馬がいつの間にか内宮へ移されていた
白馬の奉献については『吾妻鏡』にも記されていますが、
磯部では唄も残っています。
♪元は磯部の白い馬や 向こうに嫁いで いつぞや戻る〜ヨイノヨイノ♪」

伊雑宮が伊勢神宮の元宮であるという「元宮説」は、未だ根強い。
それは、伊勢に皇祖神・天照大神が祀られる前、
この伊雑宮には別の神が座していたことを意味する?




by utoutou | 2014-10-03 20:37 | 伊勢 | Trackback | Comments(0)
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