伊雑宮へ〈4〉さらに元宮


伊雑宮(いざわのみや)を地元では「いぞうぐう」と呼ぶ。
三重県志摩市磯部町上之郷。
町名の由来は、古来この地に居住した磯部氏による。

磯部氏とは、「日本書紀」応神天皇の条に
「諸国に令して海人(あま)及び山守部を定む」や
「古事記」に「海部、山守部、伊勢部を定め」とある、
伊勢部(磯部)という職能集団として組織された海洋民(海人)をいう。


近鉄志摩線で鳥羽駅から23分、上之郷駅下車。
航海安全祈願の霊峰・青峰山までは車で30分。
標識を見上げて伊勢・鳥羽のリアス式海岸を思う。車で約1時間。
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志摩の国には一之宮が二社ある。
理由は諸説あるが、ともあれ二社とは伊雑宮と、伊射波神社。
鳥羽市安楽島町字加布良古という地名から「かぶらこさん」と呼ばれる。
今回は足を伸ばせなかったが、鳥居は風光明媚な浜に建つ。
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※画像はFBページ「志摩一宮伊射波神社」から拝借。


黒潮が流れ込むこの浜に着岸し、
神社を創建したのはどこから渡来した海人か。

それが黒潮の源流たる南の島々であることは
誰もが認めるところだと思う。そのなかに、
沖縄があると考えるのはごく自然なことだと。
この海を見て改めて。


さて、『磯部町史』は、
その地名と神社についての概略をこう記す。
〜粟島神戸と伊雑神戸は『輪庸帳』(※729)に
大神宮神戸、粟島神戸、伊雑神戸とあり、
粟島神戸の方が伊雑神戸より上位の神となっている。〜

つまり、粟島(現在の安楽島)の伊射波神社は
伊雑宮の元宮であると。
『皇田太神宮儀式帳』(804年)には
「粟島坐伊射波神社」と、社名が見える。


「伊雑宮のしおり」の周辺MAP(赤線は筆者による)
伊射波神社のある加布良古岬は右上に、また、
「伊勢神宮のもうひとつの元宮」朝熊神社のある朝熊ヶ岳はその左に。
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伊雑宮・御師の家の森さんの話では、
伊射波神社に近い贄浜(にえはま)は複合遺跡。
弥生式土器、和同開珎、そして金の帯金具が出土した。
「聖徳太子のような貴人が使う装身具だったそうです。
持統天皇の密貿易港だったとも言われています」

また昭和40年代から60年代の発掘調査では、
製塩土器、祭祀用具など縄文の遺物も発掘された。

伊射波神社の社殿は、遺跡を見下ろす岩山の頂上にある。
祭神は「神名帳」に記された二座のうちの一座、伊佐波登美命。


登美…。竜蛇神を崇める、出雲の先住神族・富族。
伊雑宮は「出雲」だったのか。
朝日が昇るこの伊雑宮・鳥居の反対側、800m西に佐美長神社がある。
古来、大歳社と呼ばれた。大歳神とは、男神としての天照大神だろう。
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by utoutou | 2014-10-05 20:56 | 伊勢 | Trackback | Comments(0)
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