伊雑宮へ〈6〉倭姫と鮫

♪ 磯部伊雑宮は龍宮様よ 八重の汐路を鮫が来る〜
伊雑宮で行われる、お田植祭の唄の一節。
八重の汐路とは、志摩のリアス式海岸を流れる水路。
そこから的矢湾に入り、7匹の鮫が白波を立て遡って来ると。

駅に至近の現在の位置からは想像もつかないが、
創祀されたと「しおり」にある2000年の昔、
伊雑宮は、鮫が遡る河口に建てられた。

そのことは、伊雑宮御鎮座の由来でも確認できる。

倭姫命が天照大神の鎮座地を求めて巡行していると、神託があった。
「明朝、7本の鮫が沖を通る。その後について行けばよい場所がある」
その通り、鮫たちの後をついて入江の奥まで行き、
天照大御神をお祀りしたのが、伊雑宮だという。

さて、伊雑宮の南800mに佐美長(さみなが)神社がある。
交差点の歩道脇に立つ鳥居から石段を上がると、もう境内。
参道もないシンプルな立地だが(鮫が遡る)川沿いだったなら頷ける。


佐美長神社は伊雑宮の所管社。その授与品も伊雑宮の社務所で扱う。
ディスプレイの色彩に、なぜか御杖代だった倭姫の旅を思った。
a0300530_1424337.jpg


佐美長神社は、旧名「大歳社」「穂落社(ほおとしやしろ)」。
「伊雑宮のしおり」によると、倭姫命が志摩国巡業の際、
鳥の鳴く声が聞こえるので、見に行かせると、
葦原に一株の稲が生え、穂が千穂に分かれて茂っていた。
一羽の真名鶴がその穂をくわえて飛びながら鳴くので、
この鶴を大歳神(五穀の神)と崇めて、この地にお祀りした。


大歳社は、明治時代に入ってから佐美長神社と名が変わった。
鳥居に、これはまた神技か…墨絵で描いたような一羽の鶴がいた。
a0300530_14313064.jpg


「稲穂をくわえた鶴」の伝説は各地にあるが、沖縄もしかり。
稲作発祥の地・受水走水(うきんじゅはいんじゅ)に似た伝承がある。
そして、受水走水もまた、古代は葦の茂る湿地帯だった。

いずれも稲を携えた海人族が渡来して、葦原を拓いたことを示している。
沖縄の稲作の祖は「アマスのアマミツ」。アマスを天祖とも書く。
天祖は言い換えれば「五穀の神」。沖縄版の大歳神である。


ここ佐美長神社もまた、訪れた9月22日、遷宮の準備中だった。
a0300530_14274961.jpg


佐美長神社の境内には、知る人ぞ知る可愛らしいお宮が並ぶ。
佐美長御前神社四社。こちらも伊雑宮の所管社。

四社が佐美長神社に移されたのは、これも明治時代になってからという。
大規模な治水工事があるまでは、四社は川添いに点々と祀られていた。

神の使者である鮫たちが伊雑宮へと遡った川を、神路川といった。
伊雑宮の森の裾野を流れる、別名「御裳濯川(みもすそかわ)」。
人々は祓戸の社に参り、見守られ、伊雑宮参りの禊ぎをした。
a0300530_14203653.jpg


高台の名所・おうむ岩から磯部の町(※位置的には東)を望む。
真ん中のこんもりとした森が、伊雑宮。
その先に伊雑ノ浦、的矢湾が横たわって見える。

写真からちょうど外れた右方に、佐美長神社がある。
明治の治水工事以前は、おうむ岩(カメラ地点)から赤い矢印に添って
神路川が流れ、佐美長神社の前から、伊雑ノ浦〜的矢湾に注がれていた。

現在の神路川は磯部川と名を変え、写真右の道路に添って流れる。
川の流れは変わっても、倭姫と鮫の伝説だけは唄に残った…。
a0300530_1435368.jpg

by utoutou | 2014-10-08 20:50 | 伊勢 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://mintun.exblog.jp/tb/20268506
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 伊雑宮へ〈7〉天岩戸と猿田彦 伊雑宮へ〈5〉六芒星の行方 >>