伊雑宮へ〈7〉天岩戸と猿田彦

伊雑宮のある磯部は、古来、半農半漁の海人族の居住地だった。
この風土が沖縄開闢の地に似ていて、大いに興味をそそられる。

琉球の海人族は塩田もつくった。
沖縄南部の玉城には、マース(=塩)御嶽があるが、
伊雑ノ浦の飯浜(いいはま、いばま)にも製塩遺跡があり、
塩を平城京に納めていたことが、発掘された木簡から分かるという。

「飯浜」の由来は、倭姫一行に昼食を饗したという倭姫伝説による。
倭姫は巡行の最終地である磯部へ、海路を使って移動したらしい。

そんな磯部の産土(うぶすな)の神は、竜蛇だったに違いない。
倭姫一行を「奉迎して」伊雑宮を創建したとされるのは、
先住族の首長・伊佐波登美命(いざわとみのみこと)。
登美とは富族のこと。富族が崇めたのは龍蛇神である。

先祖代々祀る龍蛇神を放逐し、新たな神を歓迎するわけはない。
奉迎というより、朝廷に帰順して土地を明け渡したのが真実かもしれない。


さて、かつては伊雑の森まで流れていた神路川の源流に天岩戸がある。
天岩戸は、沖縄のクマヤー洞窟がそう呼ばれたように各地にあるが、
天岩戸とは水神信仰、龍神信仰の霊場である。

神路川の源流の天岩戸には、滝祭窟があり「水神さん」がいた。
伊勢志摩に先住した民が崇めた龍神、「滝祭大神」である。
また、泣沢女神・美都波女神・猿田彦神の三神が祀られていたとも。
a0300530_129045.jpg

天岩戸は、現在の伊勢道路から山道を2㎞ほど歩くが、その分岐点に、
「罔象女大神(美都波女神)水神」と彫られた石の道標があったという。
みずはのめ。泣沢女神と同神である。
つまり天岩戸(鳥居の奥)は、瀬織津姫の坐す水穴だった。
「滝祭大神」の石柱は天岩戸の右に立っている。
a0300530_12102964.jpg

その女神が伊雑宮の元神であることは、御師・西岡家に残る文書にも。
(以下、菊池典明氏著『エミシの国の女神』'00年、風琳堂刊より引用)

〜(西岡家文書には)伊雑宮の祭神として登場していた
「玉柱屋姫命」は瀬織津姫と同神であることが記されている。
その一対神である「大歳神」は猿田彦と同神であり、つまりは、
男神の太陽神=天照大神との二神が、伊雑宮の元々の神であった。〜
a0300530_129582.jpg

瀬織津姫は、伊勢神宮内宮の後ろに坐す荒祭宮であるとも言われる。
つまり、伊勢神宮のある宇治山田の産土神も、天照大神と瀬織津姫だった。
a0300530_12115983.jpg

ところで、天岩戸は伊勢神宮から伊雑宮への参詣道にあった。
全長約16㎞。険しい山道で車でも40分かかる。  

伊勢志摩の境界にある逢阪峠付近には「家立の茶屋跡」があり、
猿田彦大神が家を建てたと伝説はいう。
「猿田彦の森」「高天原」という地名も残っている。

また逢阪峠は神路川(東)と、神宮の五十鈴川に合流する島路川(西)の分水嶺。
地形からも猿田彦(=天照大神)と罔象女大神(瀬織津姫)は、
伊勢志摩一円で崇められた一対神だったと分かる。

by utoutou | 2014-10-10 18:25 | 伊勢 | Trackback | Comments(2)
トラックバックURL : http://mintun.exblog.jp/tb/20274658
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by のだやん at 2014-10-11 03:40 x
さらっと読ませてもらいました、皆さんそこに関心があるのだな~と思いました、スフィンクスが東を向いてる意味に気づき、世界が中心に整列する時代を皆が意識し生活しないといけませんね!
Commented by utoutou at 2014-10-24 08:45
のだやんさん 沖縄の東方崇拝について。「もし、とんでも説だと言われたら、だって太陽は東から上がるんだもんと言いなさい」とはある高名な神職者のお言葉。私、これを座右の銘にしていますw
<< 伊雑宮へ〈8〉消えた猿田彦神 伊雑宮へ〈6〉倭姫と鮫 >>