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伊雑宮へ〈11〉弾圧の果てに

伊雑宮の神庫には、いまだに秘伝の書が隠されているらしい。
そこには「伊雑宮は伊勢神宮の本宮」「伊勢神宮は日月星を祀る」
という「三宮信仰」が記されていると、水面下で脈々と伝わる。

沖縄ナーワンダーグスクで「三宮信仰」に気づいてから2ヶ月。
この伊勢でようやく「日月星を祀る神社」にたどり着いた思い。

伊雑宮から車で5分。
磯部町下之郷に、御師(神職)中村兵大夫の墓がある。
江戸時代に「伊勢三宮」説を唱えた「神訴事件」の首謀者とされ、  
1682(天和2)年に、密命を帯びた何者かに毒殺されたという。

江戸の書店から、『神代皇代大成経』(潮音著)
が刊行されたのは、兵大夫が憤死する3年前のこと。
72巻からなるという長大な書だが、ポイントはズバリ「伊勢三宮」説。
〜倭姫命は猿田彦神の神示で、天照大神の神霊を伊雑宮に遷した。
伊雑宮は日神アマテラスを、外宮は月神ツキヨミを、内宮は星神ニニギを祀る〜

聖徳太子と蘇我馬子の編纂という話題性もあってか、
江戸の町では、知識人を巻き込んでの大論争が勃発。
結果、幕府の裁定により「偽書」「禁書」との烙印が押された。

版元の責任者は追放、編著した永野采女と潮音は流罪に。
朝廷は「伊雑宮は内宮の別宮。祭神は伊射波富美命」と裁決したが、
それでもなお、鳥羽藩による兵大夫への制裁の追手は止まなかった。


兵大夫を追善供養する観音石像。下之郷にある中村家の墓地に建つ。
目を閉じて憂いを含んだ表情に、無念の思いがにじんでいるようだ。
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「三宮」説をめぐる一連の動きは、江戸時代に始まったものではない。
源平から戦国時代にかけての戦乱の末、
伊雑宮の社領地が志摩の水軍・九鬼氏に奪われたのが、1531年。
伊雑宮は経済的基盤を失って凋落。兵大夫毒殺事件に至るまで、
150年の長きにわたる、伊雑宮崇敬者たちによる復古運動があった。

江戸時代になってからも事件は続いた(『磯部町史』等から抜粋)。


 1625年 伊雑宮の神人・役人が幕府に直訴して、数10人が流罪に。
 1646年 神人(御師)らが「伊勢三宮」を主張。朝廷や鳥羽藩への請願活動が続く。
 1658年 「伊雑は内宮の本宮である」と、さらに主張。
 1663年 将軍家綱に直訴。40人が国外追放に。
 1679年  江戸の版元が『神代皇代大成経』を出版。
 1681年 幕府は『大成経』を「偽書」として禁書処分に。
      版元の戸嶋惣兵衛は追放、企画者の永野采女と潮音道海は流罪に。
      朝廷は「伊雑宮は内宮の別宮。祭神は伊射波富美命」と裁決。
 1682年 中村兵太夫が毒殺される。


中村兵大夫を悼む観音石像は、近隣に他に2ヶ所もあるが、
中村家の墓にある観音様の左手は、毒饅頭を持っている(↓中央右)。
伊雑宮の本宮説を口伝で守る磯部の人々の、筋の通った弔い方を感じる。
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お墓にお参りしたのは、1ヶ月前のちょうどお彼岸の日。
墓地の中央にそのお墓はあり、花が手向けられていた。
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11月末の遷宮を待つ伊雑宮の新宮。『伊雑宮旧記』曰く、伊雑宮は
もともと竜宮で、的矢湾の海底に石の鳥居があると信じられていたと。
様々な古伝が潜む伊雑宮に、実は今年、新たな事件が勃発した。つづく…。
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by utoutou | 2014-10-18 14:39 | 伊勢 | Trackback | Comments(6)
Commented by lostsheep at 2014-10-23 01:49 x
来月伊雑宮に詣でようと思っている者です。タイムリーな記事に感謝します。特にこの弾圧の話に興味がそそられました。弾圧されたのもそれが真実だからでしょう。
Commented by utoutou at 2014-10-24 08:41
lostsheepさん 是非、行かれたら謎解きを。伊雑宮の境内、勾玉池の奥に禁足地があります。今回、私は時間切れでしたが、おそらく古代の磐座があるその近くで、何かを感じ取りたいものですね。
Commented by ゜maru at 2014-10-24 11:38 x
初めて、コメントさせていただきます。

伊雑宮の記事、ありがとうございました。

伊雑宮、禁足地があることを知りませんでした。

来月、訪れますので、是非意識を向けてみたいと思います。

禁足地だから、入れないのですね。
Commented by utoutou at 2014-10-24 12:41
maruさん はい禁足地があると、感じています。立ち入り禁止のロープは張ってありましたね。伊雑宮だけでなく、神宮の内宮、外宮や、美しく整備された区域内に、古代の大きな磐座はいくつも隠れていると思います。伊勢古道も歩いてみたいですね。伊勢〜磯部の新道開通により埋もれてしまった神社もあると聞きました。そうした神社は伊雑宮近くの磯部神社に合祀されたようです。
Commented by 極楽ハゼ at 2015-07-06 15:57 x
うちのじいちゃんの御先祖様、伊雑宮の神官さんで、島流しにあったそうです
Commented by utoutou at 2015-07-08 11:57
極楽ハゼ さま

こんにちは。そうでしたか。幕府に直訴した神官のお一人だったのですね。痛ましいことですね。
ちなみに、御先祖様は磯部のご出身でしょうか? またいろいろと教えてください。よろしくお願いします。

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