伊雑宮へ〈14〉倭姫の真実

持統天皇が伊勢行幸(持統6年、692年)の際に下賜した
勅賜門は、不開門(あかずのもん)と呼ばれた。
伊勢神宮は、2年前に完成していたが、
皇祖・天照大御神の御杖代として、その創祀に功績篤い
倭姫命を、讃えるどころか、ゆかりの地を封印してしまった持統。
その不可思議な情熱とは、いったいどのようなものだったのか。

しかも、1ヶ月近くをかけた行幸で、多気・渡会といった
伊勢神宮の傍を通過しているのに、参拝したという記録はない。
亡き天武天皇の創祀した伊勢神宮への思いも、持統の心の闇なのか。


伊雑宮の境内にある古井戸。終着地で倭姫もこの井戸を使った?
倭姫にとって御杖代としての長い巡行、その重責は計り知れない。
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不開門(あかずのもん)の謎を解く鍵は、倭姫の出自にある。
第11代垂仁天皇の第4皇女だった倭姫命。
母は日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)。
遡れば、丹後一宮・籠神社の『海部氏系図』に行き着く。
「元伊勢」である。
祖父は、丹波道主王(たんばみちぬしのおう)。
曾祖父は日子坐王(ひこいますおう)、
曾祖母は息長水依比売娘(おきながのみずよりひめ)。
さらに一代上には、天之御影神(あめのみかげのかみ)がいる。

大和朝廷が国づくりを始める以前にあった古代丹波国の王族。
海部氏の祖神は、国宝『海部氏勘注系図』によれば、天火明命。
またの名は、天照國照彦天火明櫛玉饒速日命
(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)。  

磯部で「アマテルさん」と呼ばれる男神の天照大神。
尾張氏の始祖でもある。
そして、ヤマトに一番乗りして「虚空見日本国」
(そらみつやまとのくに)と命名した王。

ちなみに…『海部氏勘中系図』には、海部氏の
同族・和邇氏の武振熊宿禰(たけふるくまのすくね)の名も見える。
『倭姫と鮫』のワニ伝承は、和邇族など古代海神族の絆を窺わせる。


伊雑宮所管の佐美長神社。伊雑宮から800m西の小高い丘にある。
伊雑宮〜佐美長神社の道「御幸道」とは「持統天皇が歩いた道」の意味。
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↓ こちらは伊勢(皇大)神宮別宮・倭姫宮。大正12年秋の鎮座。
崇敬者の請願によって創立したという、伊勢神宮でもっとも新しい宮。
遷宮は内宮外宮の1年遅れの今年、12月10日に。伊雑宮の約1週間後。
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さて、皇祖アマテラスを祀る初代斎宮となった倭姫。
驚くべきことに、
父・垂仁天皇に複数いた妃は、母・日葉酢姫の姉妹だった。
つまり丹波道主の娘たちは、すべて垂仁天皇に嫁いだのである。
古代天皇の系譜が一夫多妻の婿入り婚だったとはいえ、
このことはいったい何を物語るのか。

ひとつは、古来、海神族が握っていた絶大なる権力。
もうひとつは、その女たちのシャーマン資質にあると思う。
太陽神を祀る日巫女。その血脈は倭姫にも受け継がれた。


by utoutou | 2014-11-01 01:51 | 伊勢 | Trackback | Comments(0)
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