天武の墓〈2〉琉球の高天原

玉城百名にある天武大主(てんむうふすー)の墓。
この人物が古人大兄皇子であるという
推理が、もしドンピシャで正しいとしても、
天武大主は、初めて琉球に渡来した大和皇族ではない。

この御嶽の周辺を、玉城の神女たちがなぜ、
「高天原」「高千穂の峰」と呼び続けてきたのだろう
と考えるとき、「この地は日本神話の故郷」という
口伝が近年まで残っていたことを認めないわけにはいかない。

つまり、玉城には皇子を迎え入れる態勢が整っていた。
そんな縁故ある土地だからこそ古人大兄皇子は、
逃亡先に琉球を選んだと考えるのが自然だ。

乙巳の変(645年)で、蘇我入鹿の暗殺を目撃した
古人大兄皇子が、出家して吉野に入ったことは、
皇極天皇からの皇位継承権を辞退したことを意味する。

そこまで身の危険を感じていた古人大兄皇子が
頼った先、琉球には、
歴史からは消された古代王朝があったと、私は思う。

琉球王府の最初の正史『中山正鑑』(1650年)は、
「天孫氏王朝は、25代1万7千802年間も続いた」と記したが、
こんなことは史書の体裁を整えるための粉飾だと言われてきた。
「17802年÷25代=712歳」になることを思えば、不思議はない。
王一代が712年も生きた王朝…神話としても無理がある。

ところが、仮に…天孫氏王朝が
前後2期あったとすれば、ガ然、辻褄が合ってくる。

前期が、1万7千802年前からあった「古代天孫氏王朝」。
続く後期が、25代の王がいた「天孫氏王朝」。

『中山正鑑』によれば、この25代王が逆臣・利勇(りゆう)に
滅ぼされて治安が悪化、王朝は崩壊したという。
(※最後の王名と、崩壊した年は不明)
そこに現れた若武者が、利勇を討って王に推挙された
浦添按司・尊敦(そんとん)。1187年のことだった。

ここまで続いた25代の天孫氏王朝の初代王が、
古人大兄皇子とすれば、1187年頃−645年頃=542年。
542年÷25代=21.68年 。
これが王一代の在位年数となれば、疑問は解消する。



アマミキヨ渡来伝説の百名海岸に立つ「ヤハラヅカサ」。
琉球の始祖とは、ヤマトから逃げた皇子だったのか?
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「天武大主」のルビは、画像を拡大すると「てんぷうふぬし」と見える。
方言の読みでは「うふすー」なので「ヤマトの人が建てた」説もある。
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石段の右手に墓がある。
墓と呼ばれるが、亀甲墓のように納骨仕様ではないようだ。
祖神の依り代として、秘かに崇められてきた御嶽の刻銘か。
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by utoutou | 2014-11-07 22:18 | 天孫氏 | Trackback | Comments(2)
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Commented by Misaki at 2016-11-12 08:20 x
お久しぶりです。①旧石器時代の原日本人Y-D2海洋航海漁民は季節的に船で沖縄に南下し、沖縄~台湾平原間を往来し平原原住民から麻や土器を入手(2万年前頃)②原日本人Y-D2は原台湾人Y-O2bを誘い船で沖縄に移民させる(1万8千年前頃)➂原台湾人Y-O2bは沖縄で分化しY-O2b1隣人口を増やす→前期天孫氏④沖縄で分化し人口を増やしたY-O2b1は再びY-D2の誘いで船で九州南部(笠沙など)に上陸=塩土翁の祖先(1万5千年~1万4千年前頃)⑤Y-D2が沖縄に再渡航し台湾~江南の中継地として定住しY-D2の人口を増やす⑥古人大兄皇子の645年頃の沖縄亡命→後期天孫氏
この流れだと思います。蘇我氏=宗我氏天皇家(馬子は聖徳太子で天皇)飛騨天孫の子孫ですね。
自信ないですが。
Commented by utoutou at 2016-11-14 08:49
> Misakiさん
お久しぶりです。まったく偶然なのですが、Twitterで同じお説を拝見したと思ったら、Misakiさんだったのですね。いろいろ展開されていますね笑。古人大兄皇子の沖縄亡命という私の意見を外でも見ることがあって、実はちょっと驚いていたところでした。
Y-D2に始まる遺伝子融和関連の話で思うのは、琉球への人々の渡来は、大和からだけでなくもっと多彩だったのかもと。。例えば応神の時代、朝鮮半島から押し出されるようにして東シナ海の黒潮反流に乗って南下した、いわゆる東夷の人々がいたか? とか、現在のインドネシア周辺とか東アジア一帯にいたであろう倭族の人々は? とか。すると視点は環太平洋に広がったりするわけですが、古代飛騨も忘れてはいけませんね。位山にまた登りたくなりました笑。
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