天武の墓〈5〉ミントン古伝の葺不合(フキアエズ)

天武大主の墓になぜ「稲作の祖」と彫られているのか
について考えようとしていたが、
その前に…ミントン古伝が記す
「日本から来たアマミコが教えた葺不合(フキアエズ)」
などの風習や言葉について、メモしておこう。


「大和から来たアマミコが教えたこと」その1. 
妊婦がいるときは葺不合(フキアエズ)の印を見せる。

この風習の源を記紀神話に求めるのは、
私だけではないだろうと思う。
豊玉姫は山幸彦との間にできた子を
鵜(う)の羽で葺いた産屋で産もうとしたが、産屋が
完成しないうちに産気づき生まれてしまったので、
鵜葺草不合命(ウガヤフキアエズノミコト)と命名した。
「フキアエズの印」とは、途中まで葺いた屋根のことである。

「アマミコが教えたこと」その2.
子どもが生まれたら「川降り(かーうり)」をする。

『如件』には上記以上の詳細は記されていないが、
「川降り」とは、生まれた赤子を初浴(うぶあみ)させ
その後に、着物を被せ、小蟹を数匹這わせること。
今でもこの儀式を行う地方が、離島にはあると聞く。

大和朝廷の宮中祭祀を司る職にあった忌部氏による
『古語拾遺』(807年)に、沖縄の風習と同じく、赤子に
蟹を這わせる行事が見えると『古琉球』で指摘したのは、
伊波普猷氏(1876〜1947年)。そのうえで次のように記した。
〜琉球の風習と日本の伝説の間には何らかの関係があるに違いない〜


↓本文とは関係ないが、参考に拝借。
『野津唯市写真集 懐かしい未来』('12年、球陽出版)の
「貧しくとも豊かだった頃」に描かれた、昔の「屋根の葺替え」。
半端に葺くのが「葺不合(フキアエズ=安産祈願)の印」。
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ところで、『古語拾遺』('85年、岩波文庫版)には、
(ここでは葺不合命は、ヒコナギサノミコトという)
赤ん坊に這う蟹を箒で掃(はら)う「蟹守(かにもり)」として、
「掃守蓮(かにもりのむらじ)遠祖天忍人命」の名が見える。

では、生後まもない葺不合命には、なぜ蟹が群がったのか。
これは間違いなく、人も蟹も満月の夜に子を生む(産卵する)
という親和性の証しではないかと思うが、どうだろうか。

また蟹が脱皮する生態は
古代の人々にとって、蛇と同じように
「生と死の復活」「永遠の転生」の象徴だったに違いない。
語り部の話では、現代でも沖縄では、お墓のお供えに、
蟹や海老といった甲殻類を贈る習慣が残っているという。


興味の尽きない、日本と沖縄の風習の類似だが、
なかでも興味深いのが「玉依姫の里はどこか」という点。
臨月の玉依姫は山幸彦に「里の風習で生みたい」言ったのだ。
その風習とは、波打ち際で出産することだった。

「玉依姫と豊玉姫の里は琉球だと思う」と、語り部は言う。
だとすれば「葺不合」の風習は、
琉球に逆輸入されたことになる。


ミントングスク内にある「古代に大和へ行った人の墓」
一説には「彦火火出見命(山幸彦)の墓」とも伝わる。
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by utoutou | 2014-11-14 21:25 | 天孫氏 | Trackback | Comments(0)
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