伊雑宮と猿田彦〈3〉道祖神になったサルタヒコ

猿田彦の森を登る、一歩ごとに、
天の岩戸の源流に近づく実感があった。
そして、いくつかの疑問が解けていく。

まず、
日本書紀の垂仁天皇のくだりを思った。
「五十鈴川の川上」が出てくる。

こんな話だ…。
倭姫が巡行の果てに伊勢国に入ったとき、
天照大神は宣った。
「神風が吹き、常世の波が寄せる国、傍国の美し国。
私はここにいようと思う」。
そこで倭姫は、その祠を伊勢に定め、
斎宮を五十鈴川の川上に興した。
そして、これを磯宮と名づけた…。


傍国(かたくに)=片方が海、片方が陸の国。
そして美しい国。それは、伊勢ではなく
この志摩の磯部のことではないか。
だからこそ、磯宮と名付けたのではないか。


真下から見上げた「片枝の杉」
樹齢500年は経っている?
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もうひとつの疑問は、内宮に
祀られている興玉神(猿田彦)のこと。

以前にも書いた
猿田彦と瀬織津姫という一対神は、
アマテラス鎮座の前から伊勢の祖神だった。

ゆえに内宮の中には「興玉神拝所石壇」があり、
それは太陽の昇る東を向いているという。

森を登りつつ、東とは、この猿田彦神社の方向
でもあったのだと、しきりと納得した。


地図左上に加筆した赤の矢印が、伊勢・内宮の方向。
右手の赤丸が天の岩戸。上の逢坂峠との間に、
江戸時代まで猿田彦神社があった。
天の岩戸の下流につけた青丸が伊雑宮。
地図は郷土史より拝借。
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さて、
片枝の杉を見上げた後、足元に目を転じると、
そこには小さな祠があった。
道祖神のように、ひっそりと。東を向いている。
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祠の中に、神名を彫った御札が祀られていた。
容易には見えず、指で詰まった枯葉などを除く。
すると、カタッと小さな音がして、
あろうことか、御札が倒れてきた。


神様が倒れた…
合掌する前に、実はそういう「事件」があった。
動揺して、あたりを見回すが誰もいない。
海の方向から太陽が見つめていた。
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神名は、⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️大神。難しい字だ。
しばらくしゃがんだまま、手にした石札を見つめた。

とにかく戻さねばと、祠を覗き込んだとき、
さらに違う神様も祀られていることに気がついた…。



by utoutou | 2014-11-30 23:18 | 伊勢 | Trackback | Comments(0)
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