伊雑宮と猿田彦〈8〉物部氏と「七匹の鮫」

志摩市磯部町の的矢(まとや)湾。
猿田彦の森から30分かかる的矢牡蠣の本場へと急ぐ。  
レンタカーで走行中、牡蠣〜♪と、喉手が出たが、
恨めしいことに養殖工場を見学する時間はない。

で、的矢氏の地を散歩。
的矢美作守(まとやみまさかのかみ)。
おそらく伊勢地方では最古の港だった的矢を居城として、
鎌倉時代後期(1330年頃)から1531年までの230年、
伊雑神戸(かんべ、神領地)の総検校(監督)として、
部民を率いて、神宮と伊雑宮の財源を賄ったという。
   

的矢湾。正面が太平洋方向。いかだ釣りが盛んで、渡船基地が並ぶ。
入り組んだリアス式海岸が大河のように伊雑ノ浦(右方向)まで続く。
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的矢氏は代々、部民の信望篤く名族として栄えたが、
1551年、九鬼水軍の武将・九鬼隆次に襲われて滅亡、
父母は自害、4人の子息は落ち延びて、的矢を去った。

そのとき持ち出したのが、
伊雑宮のご神体、祭具、宝器、古文書だった。
その後、伊雑宮に返された古文書は、後に
江戸の街を騒がせ幕府から「偽書」とされた
『神代皇代大成経』と『先代旧事本紀大成経』
(釈潮音著)という神書シリーズの原典になった。


そこには伊勢内宮・外宮を怒らせた
「伊勢二社三宮図」も載っていた(再掲)。
伊雑宮は日神(天照)、内宮は星神(ニニギ)、
外宮は月神(月読)を祀ると。
その説くところは、
「伊雑宮の社格は、内宮・外宮より上」。 
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興味を引かれるのは『先代旧事本紀大成経』が、
物部氏の始祖伝承(ニギハヤヒ降臨)を
重視しているということだ。
その秘伝書を伊雑宮から命がけで
持ち出したのは、的矢美作守の遺児。


的矢氏が物部氏であることは
『志摩国神戸御厨記文之内的矢旧事』(1313年)に
「当職者の本姓は物部氏」と書いてあることで分かる。


港を歩きつつ「7匹の鮫」の話を思い出す。 
旧6月24日、太平洋の大海原から的矢湾を通り、
7匹の鮫が列をなして伊雑宮まで上ってくると。
的矢だけでなく、志摩の複数の漁村に残る伝承という。
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なぜ7匹なのか。その答は
『先代旧事本紀大成経』にあると思った。
序文には「大成経序伝」と「神代皇代大成経序」
のふたつがあるが、後者には、
「吾道・物部・忌部・占部・出雲・三輪の六家の
祖先人のことを記した 家蔵の記録を集めさせ……」と。
同族の6家が、黒潮に乗って伊勢に着いたか。

しかし、6。1足りない…。
こういうときは語り部に電話する。
「6+1で7、7匹はその比喩では?」
「そうだと思います」
「で、残りの1とは?」
「天皇家だと思います」
「はあ……」
「その6家が、6芒星になるのです」


by utoutou | 2014-12-09 21:03 | 伊勢 | Trackback | Comments(0)
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