伊雑宮と猿田彦〈10〉五芒星

伊勢志摩はワールドワイドな古代譚の多い土地だ。
磯部神社に六芒星の石灯籠があるいっぽう、
的矢湾の隣り、鳥羽市相差(おうさつ)の神明神社
では、ドーマンセーマンと呼ばれるお守りが人気。

摂社の石神さん(玉依姫)も、
女性の願いをひとつ叶えてくれるということで、
全国から参詣客がやって来て、
祈願のうえ、お守りを買い求めて行く。

護摩符としての五芒星の詳細は、
こちら鳥羽観光協会HPで。
セーマンと呼ばれる五芒星は陰陽師・安倍清明の印、
ドーマンと呼ばれる九字は、芦屋道満の印という。


神明神社の境内は細長い。お宮の配置は、
奥から本殿、鎮魂社、石神さん、そして鳥居に近いこちら↓
摂社の三吉稲荷大明神。この地も秦氏に所縁が深いことを窺わせる。
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写真は9月末に参ったときのもので、神明神社本殿は改築中だった。
左の石神さん。祈願には願いを紙に書いて奉拝。右が三吉稲荷。
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神明神社の鳥居や石神さ、いたるところにセーマンがキラリ。
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南志摩の海女さんたちは、
古くからセーマンの魔除け印を縫い付けて海に出た。
かぶりもの、手拭いにも(志摩市歴史民族資料館にて)。
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ところで、五芒星とは何か…

語り部によれば、
古琉球人たちは、その真ん中に光る星を見ていた。
天御中主、救世主としての妙見、
あるいは一等星である天王星を。

紀元前3千年のシュメール文明を源とする、
人間エネルギーを象徴する図形だったのとではという。
いっぽう六芒星は、宇宙エネルギーの象徴だったと。

では、五芒星と六芒星は、どのようにして、
この地にもたらされたのか。
今回の志摩旅で、私は
それは猿田彦によってだろうと確信するに至った。
猿田彦を秦氏の始祖とみてのことである。

なぜなら五芒星の神明神社、六芒星の磯部神社、
ともに明治時代まで、祭神は猿田彦神だった。

こちら神明神社は、明治42年、
八幡宮、白鬚明神、熊野権現、牛頭天王社
などと合祀となり、以下26柱もの祭神となった。

天照大神、天忍穂耳命、天穂日命、天菩日命、
活津日子根命、熊野久須日命、多紀理比売命、
市杵嶋比売命、多岐津比売命、大已貴命、
手摩乳命、脚摩乳命、素戔嗚命、菅原道真、蛭子、
綿津見命、伊弉諾尊、伊弉冉命、誉田別命、
天児屋根命、鵜草葺不合命、玉依比売命、猿田比古命
倉稲魂命、崇徳天皇

不思議なのは、磯部神社、神明神社いずれも、
過去の祭神が猿田彦神であることは、
一見しては分からない。まるで、
履歴を故意に消去されたかのような印象すらある。

さらに調べると、
地主神・猿田彦の守備範囲の広範さに度肝を抜かれた。

皇祖神・天照大神の御杖代として
倭姫が巡幸したルートには、
各地に猿田彦にまつわる共通点があり、
その足跡は、出雲へ、沖縄へ、
そしてシュメールへと、遡ってしまうのである。

by utoutou | 2014-12-13 21:55 | 伊勢 | Trackback | Comments(0)
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