シャコ貝とアザカと猿田彦 4⃣ アメノウズメ

話は先週の沖縄旅に戻って、
ガンガラーの谷ツアー最後の見学ポイント・武芸洞遺跡。
石棺墓に埋葬された人骨の腰部にはシャコ貝が乗っていた。

ガイドさん解説中。フリップ右上がシャコ貝。
人骨の頸部からはオオベッコウガサの装飾品、
左前腕部からは12個のイモ貝を繋げた腕輪も発掘された。
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南城市武芸洞遺跡の調査は'07〜'09年に行われた。
王府時代、東西に開口部のある
この洞穴(ガマ)は武芸の練習場だったという。
ガマの東側から出土して、2500年前とされる人骨は、
うつ伏せで左に頭を安置。↓シャコ貝は現在も展示中。
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かつて沖縄本島中部読谷村の木綿腹原遺跡からも
頭部を2枚のシャコ貝で包まれた人骨が発掘されたが、
アマミキヨ伝承の残る本島南部の遺跡から、
それも大里が源流地である雄樋川沿いの遺跡から、
シャコ貝を伴う人骨が出土したことは、何やら重要。

大里は、天孫氏王朝の本拠地のひとつと伝わる。
その主は渡来豪族の和邇氏だと、私は思う。
また猿田彦は綿津見神の子、その和爾氏系図に在る。

天孫氏王朝の存在は神話にすぎないとされるが、
大里西原集落では、天孫氏二十五代を祀る拝所
天代大世(あまよたいせい)」が代々祀られてきた。

人を食う鬼となった兄が
妹のホト(女陰)に食われそうになり、
崖から転落する鬼餅(ムーチー)伝説も大里が起源。
武芸洞、サキタリ洞を通る雄樋川を5km北へ遡ると大里。
右下方向が港川、そして太平洋。
※MAPは『武芸洞遺跡発掘調査概要報告書』
(沖縄県立博物館・美術館刊)より拝借。
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「猿田彦の死」伝は、鬼餅伝説にそっくりだ。
『古事記』にいわれる「猿田彦の死」とは、
猿田彦が阿耶訶にいたときに漁をしていて、
比良夫(ヒラブ貝)に手を挟まれて海に溺れた…だが。

比良夫貝とは、沖縄以南でとれるシャコ貝のこと。
それはアメノウズメ(天宇受売命)のホト
の比喩であると、私は思う。
「下の口は鬼を食う口」と脅した妹のように、
アメノウズメはハニートラップで、
猿田彦を死に追いやったのではないか。

なぜならアメノウズメは、
猿田彦の死後、猟奇的な行動に出る。
『古事記』天孫邇邇芸命の段の最後はこうだ。
〜天宇受売命は、
猿田彦を送って帰って来ると魚たちに言う。
「お前たちは天つ神の御子にお仕えするか」と。
多くの魚は「お仕えしましょう」と言ったが、
海鼠(なまこ)だけは言わなかったので、
天鈿女命は海鼠に「この口はものを言えない口」
と言い、紐のついた小刀でその口を裂いた〜

「縁結びの女神」「芸能の祖神」と
呼ばれるアメノウズメだが、実のところ
猿田彦大神を狙う女刺客だったのでは?

女のホトに例えられるシャコ貝は妖艶で扇情的。
海底の珊瑚岩に埋まってネオン色に光るという。
シークァーサーをかけて食べる刺身が美味。
※写真は「沖楽」さんの「おさかな図鑑」から拝借。
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語り部によれば「鬼を祀りながら封じる」
…鬼餅の真の由来とはそういうことだという。
鬼餅を包んだ後の月桃の葉は、
十字に結んで家の軒下に下げるのが風習。  
十字のことを「アジマー」と呼ぶ。

「魔除け」の意味がある。
シャコ貝は噛み合わせが十字に見える。
ゆえに、別名はアジケー(十字の貝)。

さて、猿田彦はアザカで死んだというが、
沖縄にはアザカと呼ばれる聖木も自生する。
長実ボチョウジ。
そう言えば、ガンガラーの谷に行く前日、
那覇市で唯一そのアザカが見られる公園に行った。

by utoutou | 2014-12-30 18:52 | 洞穴(ガマ) | Trackback | Comments(2)
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Commented at 2014-12-31 10:38 x
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Commented at 2015-01-02 08:15
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