富士山本宮浅間大社 8⃣ 瀬織津姫の不死山

「祭神は赫夜姫(かぐやひめ)」と知ったいまに
なって思い返すのが、浅間大社の末社・水屋神社。
湧玉池(わくたまいけ)のほとりに鎮座している。

富士山の雪解け水が溶岩層を通って湧き出る水は、
浅間大神の水徳とされ、長く霊水として信仰された。


水屋神社を覗くと、まさに湧水の源だった。
神社の前には、空のペットボトルが並ぶ。
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水屋神社で目についたのは、竹のあしらい。
湧水は左手、石塀に渡された長い竹筒から出る。
竹筒に何ヶ所も付いた細い竹の蛇口から、
間断なく、子気味よく、ふんだんに流れ出ていた。

竹は古来、蛇や龍を思わせる植物とされる。
沖縄のアマミキヨゆかりの地・玉城でも、
古来、竹林は草分家の印とされたという。

古代人が神と崇めた蛇に似ている蒲葵の木は、
いちばんの聖樹とされたが、その節目が蛇の
脱皮を連想させるということで、竹もまた、
死と再生、転生を象徴する神と見なされた。
つまり、『竹取物語』のかぐや姫も、
水神として、また龍神として、描かれたと思う。


さて、湧玉池でもう1ヶ所思い出される
のは、水屋神社の参道に立つこの藤棚。
春になれば、藤の花が瀧の瀬のように咲き誇るはず。
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藤は富士にゆかりの花に違いないが、
古代、藤も、竹と同様に蛇に見立てられた。
籠神社の藤祭、そして諏訪神社の諏訪明神と、
藤は、古伝の随所に登場する。
茎蔓の強靭さが蛇のようだというのが、その理由。

つくづくといま、思う。
がくや姫は縄文の女神として描かれていたと。

また、その後、『竹取物語』をリメイクして
『富士山縁起』を残したのは、
この地の先住民族の流れにある人々だろうと。

さて、
『竹取物語』が世に出たのは平安時代だが、
皇祖神として天照大神が誕生したのは、
  天武天皇、そして持統天皇の時代だった。

古事記の成立は712年、日本書紀は720年。
伊勢の土着の女神である瀬織津姫を、内宮の別宮に
追いやるかたちで、天照大神を皇祖神として祀った。

「その後、天変地異が続いたのは瀬織津姫の怒り」
「天武は、天変地異が続く失意のなかで没した」と、
瀬織津姫研究の第一人者・菊池典明氏は、
その著書『エミシの国の女神〜  
早池峰-遠野郷の母神=瀬織津姫の物語』で著した。
 天変地異のひとつに富士山の噴火があった。

浅間神社の社殿が造営されたのは、801年。
当時、この地に移った和邇氏の一族が、
やがて大宮司家となり、富士氏を名乗ることになる。
なぜ富士氏が、大宮司の要職に就いたのか。

それは…と、思うのだ。
封殺された女神を、富士山の聖域に祀りながら、
呪詛を解く職には、その血を引く末裔
でなければ務まらなかったからではないか。
つまり、かぐや姫のモデルは和邇氏の姫だろうと。

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かぐや姫は、語り部の言うように
「野椎神(のずちのかみ)」とも呼ばれる鹿屋野姫。
野を司る種なる女神をさしている。

話は飛ぶが、
久高島に「五穀の種が入った壷」が漂着する伝説
が残っている。その壷には、
永遠の生命を約束する種も入っていた。
クバ、ススキ、アザカの種。

『竹取物語』で帝からの求婚を断ったかぐや姫が、
代わりに差し出したのも「不死の薬壷」だった。
その薬とは、神女が醸す神酒だったのではないか。

上古より稲作と醸造の技術を携えて渡来した一族。
かぐや姫=鹿屋野姫=瀬織津姫とは
「死と再生=永遠の魂」を司る種なる女神。
不死山に祀られる必然があったと思う。





by utoutou | 2015-03-13 00:37 | 神社 | Trackback | Comments(0)
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