ヤマトタケル ④ 武甲山と龍脈〜三峯神社

三峯神社境内にヤマトタケルが立っている。
鳥居〜隋身門の参道から少し外れて、日本武尊銅像。
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〜本体5.2mの威容をほこる銅像〜
と、パンフレットの解説に。

石積みの上に立つ銅像の周囲には
ゆったりとした空間があり、ベンチも。
座ると、その威容がさらに際立つ。

で、思う。
ヤマトタケルはどこを見ている?
というわけで、 銅像の真下に立ち、
↓ヤマトタケル目線で写真を撮ってみた。
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樹々をあえて切ったのか、偶然か。
ヤマトタケルの視線の先に武甲山があった。
「ヤマトタケルは武甲山に兜を置いた」
との伝承が残る山。「置いたのは刀」説も。


銅像から立ち去る途中、振り返ると
ミコトはまだ武甲山を見つめていた。笑
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そこで、武甲山について調べてみた。

山頂には御嶽神社が鎮座する。
祭神はヤマトタケル、男大述尊(継体天皇)
そして、広国押武金日天皇(安閑天皇)。

次に武甲山周辺の神社はどうかと、
横瀬町(よこぜまち)や秩父ジオパーク
で、神社をピックアップしてみて驚いた。
猿田彦(または、由縁の神)を祀る神社が多い。


※カッコ内は祭神。
・生川沿いの猿田彦神社(猿田彦)
・宇根地区のお天狗様(猿田彦)
・芦ケ久保の白鬚神社(猿田彦)
・根古屋の愛宕神社(猿田彦)
・宇根地区の愛宕神社(猿田彦)
・宇根地区の八阪神社(スサノオ=猿田彦の父神)

猿田彦は沖縄・久高島の旧家のひとつ
イン二ヤー(魚根家)で祀られる海の神。
全国各地に祀られる猿田彦も、
基本は海の神であり、太陽神である。
その猿田彦大神がなぜ山深い秩父に?

ただし以前も書いたが、
猿田彦が海神・綿津見神
の子神・穂高見神と同神と考えれば、
穂高神社の祭神が猿田彦であるのと同様、
そんなに不思議ではない。

上古、海の民が山へと逃れたのだろうか。
そういえば、語り部が一度こんな霊視をした。
「飛騨高山から秩父へ移動する一族がいた」と。


こちら秩父鉄道・秩父駅付近からの武甲山。
午後2時半、運よく長瀞から来たSLが到着。
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太古、秩父は海だった。
そして、沖縄諸島と繫がっていた。

以下、秩父市HP「秩父ジオパーク」から要約。

・武甲山の石灰岩は、南太平洋の彼方にできた
 貝殻など堆積物がプレートにより運ばれたもの。
・約1,500万年前には、「秩父湾」があった。
・その証拠にクジラやサメの化石が発見された。
・新生代第三紀の終わり(約259万年前)、
 海が退いて、陸地になった。
・さらに東側が隆起して地下の変成岩が現れ、
 東秩父の山ができ、秩父盆地が形成された。
・近隣の鉱山は、地震が活発だった約1億年前
〜約500万年前、マグマの貫入により形成された。


地質用語で「秩父帯」という言葉がある。
日本の房総半島から関東山地、赤石山脈、
紀伊山地、四国山地、九州山地を経て沖縄本島
までの長さ1,500kmにわたり帯状に分布する
地体構造区分のひとつだそうだ。

秩父帯の龍脈は、沖縄から始まっていた。

語り部に生前の
神女のおばあたちが言っていたという。
「琉球は龍体の“えな”だよ」と。
“えな”とは胎盤のこと。神代、
日本という国造りの胎動は沖縄から始まり、
北方へと迫り上がり、うねって行った。
すると、武甲山は龍の頭にあたるのか。

そして、
記紀に見える「ヤマトタケル」征討の旅、
そのコースは龍体と妙に一致している?

by utoutou | 2015-05-11 21:38 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(0)
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