ヤマトタケル ⑨ 国津神の子孫 〜 酒折宮

ヤマトタケルが、秩父からの帰路に
立ち寄ったという酒折宮(山梨県甲府市)。
御祭神は日本武尊(ヤマトタケル)。

この神社には、実は
秩父三社に参る半月前の週末に訪れていた。
泊まりがけで石和(いさわ)温泉に
行った折り、足を伸ばしてみたのだった。


JR中央本線・酒折駅から徒歩5分。
甲府市の東玄関といった位置。いまでは
山梨学院大学や付属校のある学園町に鎮座。
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古来、酒折は甲斐の国の中心だったようで、
他国に通ずる9つの主要街道は、
すべてこの酒折を起点としていたという。

近くに流れる笛吹川を源流へと遡ると、
秩父との国境にあたる雁坂峠に行き着くという。
秩父の産鉄地帯とは、まさに地続き。

ヤマトタケルは、ここで、
御火焚の翁(おひたきのおきな)に出会った
というから、やはりここも産鉄地だったのだろう。



その名も塩海足尼(しおのみのすくね)という翁
に、ヤマトタケルは、伊勢で倭姫から
授かった「火打嚢(ひうちぶくろ)」を授け、
甲斐国の将来を託したというのが、創建の由緒。
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さて、酒折宮は「連歌発祥の地」。
ヤマトタケルが御火焚の翁・塩海足尼と、
歌の掛け合いをしたという。
ヤマトタケルが「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる
(新治や筑波の地を過ぎて、幾夜寝たのだろう)」
と詠むと「夜には九度、日には十日を
(日数を重ねて、夜で九夜、昼で十日でございます)」
と、塩海足尼はすぐさま返歌を詠んだ。
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それにしても、不思議な由緒だ。
翁が歌を返したことに感動したとはいえ、
ヤマトタケルはなぜ火打袋を手渡したのだろう。
倭姫から草薙の剣とセットで賜った神器である。
もしや、翁は神器を授けるに価する人物だったのか。



ともあれ、相当に古い土地柄ではある。
酒折宮公式サイトによれば、
塩海足尼が社殿を建てた当初の酒折宮は、
現社地より北側の月見山にあったという。
この山は三角錐型の神奈備山(かんなびやま)。
「古天神」と呼ばれる磐座が御神体だった。
※ 写真は酒折宮公式サイトより拝借。
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磐座を守り火焚きをしていた翁とは誰か?
意見を求めると、語り部は言った。
「その方は、塩土老翁だと思います」
「この地に、シオツチノオジが?」

混乱する頭で、私はもう一度聞いた。
「それは、どういうことですか?」
「国堅大神(くにかためしおおかみ)です」
語り部は言った。
「大国主であり大物主であり、オオナムチであり、
記紀では猿田彦と呼ばれたこの国の地主神…
つまり、国津神の子孫だった
のだと思います。そして…」
「そして…?」
「本当の酒折宮は、
富士山の7合目にあったと思います」
「はあ〜」



私が参った酒折宮は記紀が記した史蹟だが、
異伝を継ぐ古史も存在するというのだろうか?
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by utoutou | 2015-05-26 21:12 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(2)
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Commented by 豪大 at 2015-05-29 09:00 x
いきなりですいません。
少し拝見させてもらいました
もしよければ、アイヌ民族について調べると何か繋がる所が出てくるのでは?
もし古記事にその繋がりや関係性について書かれてたらすみません。
今からブログをチェックします
琉球神道について調べてくれて助かります、ありがとうございます!
Commented by utoutou at 2015-05-30 00:32
豪大さま

コメントをありがとうございます。
古代の琉球民族とアイヌ民族の関係については、未だ言及しておりません。ただ、かつて南城市の百名海岸にアイヌの方々が訪れて、「ここが故郷だ」というようなことを言っていたという話は聞いたことがあります。

また、道東の縄文遺跡にも興味があり、一度ぜひ訪れたいと思っています。


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