ヤマトタケル ⑯ 超縄文の女神 〜 熱田神宮

一之御前神社の社名について語り部は言った。
「いちのみさき…と読むのですね。
私には“みさき”が“みささぎ”に聞こえます」

みささぎ=古陵。
そうかと、私にも思い当たる節があった。


「こころの小径」を行くと、
本宮裏に出たので参拝し写真を撮ったが、
見上げてしか撮れず、こうして横長になった。
それほど、小径は細かった。
a0300530_735371.jpg



振り返ると、小径の端に侵入禁止のロープ。
その先には突き出た庇、そして奥に重々しい扉が。
建物は見えず、地下壕の入口のようだった。


本宮の北西、一之御前神社も緩い勾配の途中に。
本宮の裏が古陵だとすれば、その主は誰か。
a0300530_10511143.jpg


で、昨日、改めて語り部に聞いた。

「陵の主は誰ですか? そして
一之御前神社の祭神・熱田大神とは?」

「私にもよく分からないんですよ」
語り部にしては珍しく歯切れが悪い。

「陵の主は、宮簀姫の父・乎止与(おとよ)命?」
「はい、尾張の一族の長だと思います」
「では、熱田大神は天照大神のことではなく、
尾張氏の祖神・火明命となるのでは?」
「いえ、どうもそれも違うと思うんです。
熱田から北へ行った方向が気になります」
「まさか、飛騨高山…超縄文の女神ですか?」
「はい…」

岐阜県、飛騨高山にある位山(くらいやま)。
飛騨一宮・水無(みなし)神社の神体山である。
その地で祀られたという古代飛騨王朝の女神は
天照日大神(あまてるひのおおみかみ)。
私が一度位山に登ったとき、案内の人はそう言った。

それにしても、なぜ、
超縄文の女神を尾張氏が祀るのか?
「草薙の剣は戦時中、水無神社に避難したそうですし、
縄文時代から、飛騨と尾張は関係があったのでは」
と、語り部。

水無神社に参ったときの会話を思い出す。
案内の人は「祭神は水無大神」と言ったが、
やはり歯切れが悪く、こう付け加えたのだった。
「火明命という説もあるのですが、
実は本当の祭神は分かっていないのです」

謎深き尾張〜飛騨への南北ライン。
備忘のため東経を列記しておこう。
熱田神宮 東経136度54分
水無神社 東経137度15分
位山   東経137度11分


ところで、熱田神宮の創祀は1900年前と
されるが、紀元前の伝説が残っている。

往古、海に面していた熱田の地は
蓬莱島と呼ばれたそうで「徐福伝説」が伝わる。
徐福はご存知、約2200年前の渡来人だ。

鎌倉末期の書「渓嵐拾葉集」は、
「蓬莱宮は熱田の社これなり、
楊貴妃は今熱田明神これなり」と記す。

「楊貴妃が熱田明神」とは驚いたが、
もしや天照日大神のことか? 
ともあれ、
「こころの小径」に入る手前の「お清水」
には、楊貴妃に由来する霊石がある。

柄杓が立て掛けてあり、それで霊石に
三回水をかけて拝むと綺麗になるという。


説明板には 〜その苔むした石は、
享楽の古図(一五二九年頃)にも描かれ、
楊貴妃の墓(石塔)の一部との説もある。〜
a0300530_7373419.jpg

熱田と楊貴妃との関係を示す伝説とは…

唐の玄宗皇帝が東海の国日本を侵略する計画
を立てたと知り、迎え撃つかたちになった
日本では、熱田大神が絶世の美女に変身。
その美貌で皇帝にアプローチする作戦を
実行したが、やがて反乱が起き、
熱田に逃げ帰って来たというもの。
※以上「あつた郷土史」を参照。



「お清水」を出ると、やがて「こころの小径」に。
a0300530_7361327.jpg



さて、徐福伝説の残る熱田と聞いて、
沖縄にも何ヶ所かある熱田という地名を思う。

徐福伝説の残るミントングスクから至近の高台に、
熱田原(あったばる)貝塚、そして古代製鉄所跡がある。

中部では、太平洋側の和仁屋近くにも熱田が。
西海岸では、恩納村の屋富祖に熱田海岸がある。
地名の一致に、徐福・尾張・飛騨との関連はあるか?




by utoutou | 2015-06-16 09:36 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://mintun.exblog.jp/tb/21341043
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< ヤマトタケル ⑰ 神剣を守る... ヤマトタケル ⑮ ふたつの神... >>