ヤマトタケル ⑳ 地下神殿はあった 〜 熱田神宮

「神剣は2本、ミササギに隠されている…」
語り部の見立てでは、草薙の剣は
熱田神宮本宮の奥に祀られているという。
それも1振りならず、2振りも。


そこのところを、私なりに検証…
というか、ちょっと調べてみた。
まず本宮の後ろが丘かどうかは、こちら↓
国土地理院発行の地図「熱田神宮」
(平成10年3月発行)で確認できた。
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稜(みささぎ)らしき丘が、等高線で図示されている。
現在の名鉄神宮駅に面する大津通りからも勾配が。
古来、熱田台地と呼ばれた由縁だろうか。



境内に2ヶ所立つ「こころの小径」の案内板
(これは本宮拝殿西側のもの)では、
セキュリティーのためか、丘は省略されている。
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本宮拝殿の西に建つ車祓いの祈祷殿。
建物の右に案内板があり、いわば奥の院である
一之御前神社へと真っ直ぐに進むことができる。
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さて、語り部が
「2本あった」と言う草薙の剣については、
この4月に発売の人文誌『藝林』(藝林會・刊)
に、参考になりそうな話が載っている。

愛知県在住の太田正弘氏が著した
「研究ノート 草薙剣の御移座」によれば、
草薙の剣が飛騨一宮の水無神社に
移座したのは、実は戦争中ではなく、
終戦直後の昭和20年8月21日から9月19日だ
そうで、進駐軍による接収を怖れてのこと。

草薙の剣を運んだ軍人の回想では、
神剣は木箱に幾重にも納められ大きく重く、
20人でも担げないので、当時の宮内庁
が小さな箱にお遷しすることから始めた…
(動座の際)包みはふたつあった。高級な袱紗の
包みと、祖末な黒木綿の包風呂敷包み。
前者は万が一のダミーだったのでは…と。

ダミーだったのかどうかはともかく、
神剣の包みがふたつあったことは確かなようだ。


さて、記事中、予想外の内容で驚いたのは、
戦争が始まる3年前の昭和13年に、
神宮、宮内省、内務省が協議した結果、
あらゆる空襲を想定して、本宮の奥に
地下神殿の建設を始めたというくだり。

神殿の大きさは約38坪(約78畳)、
東西廊約21坪の計60坪。総檜の社殿形式。
気密鉄扉によって外気を遮断できる構造という。

完成したのは、昭和14年末。
終戦直前になって神剣は地下神殿に安置され、
本殿が炎焼したB29による空襲を免れた。
結局、水無神社から戻されて以来、
戦後復興が進んだ昭和30年まで、
神剣は地下神殿に祀られていたという。

現在の鎮座場所については、記されていない。


ところで、時代は一気にさかのぼり、
686年9月9日に崩御した天武天皇。

「天皇が病気になられた」と『日本書紀』にあるのは、
その1年前。半年後、事態は切迫していたようで、
「天皇の病いを占うと草薙剣の祟りがある
と出た。即日、熱田の社に送って安置させた」と。

即日移座とは、あまりに慌ただしいが、
はたして、剣はそれほど扱いやすい神器なのか?

『古代刀と鉄の科学』(石井昌國氏著、'95年、雄山閣)
によれば、神剣は次のような形状らしい。

・長さ五尺ばかりの木箱の中に石箱があり、箱と箱の間。
 に赤土を詰め、中に黄金を延べ敷き、御神体が鎮座。
・御神体は諸説あるが、長さ一尺八寸〜二尺七、八寸。
(※一尺=38㎝)
・刃先は蒲浦の葉のよう、中程はむくりと厚みがある。
・本のほう(持ち手)六寸ばかりは魚の脊骨のごとし。
・全体が白色をしているので、鉄剣ではなく白銅製か。



『古代刀と鉄の科学』より拝借。
右3振りが「草薙剣想定図」。
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「草薙の剣はどのような形をしているか?」
について意見を聞くと、語り部は言った。

「真っ直ぐではありませんね。
以前言ったように7つの首の蛇のような、
ちょっとイビツな形をしていると思います。
それは、幻の大陸の護り神であり、
超古代に琉球に渡ったものだと思いますが、
剣にまつわる伝承は、
もう津堅島にしか遺っていません」

ちなみに、剣の素材はオリハルコンだという。
古代ギリシャに伝わったといわれ、はたまた
古史古伝『竹内文書』ではヒヒイロカネとも。

もはや私には確かめる術のない領域だが、
古代琉球王朝17802年を思えば、それもありか…。



by utoutou | 2015-06-28 00:27 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(2)
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Commented by 金沢の素人 at 2015-06-28 21:44 x
utoutou様 こんにちは。
熱田神宮の本宮の真後ろ(utoutou様が書かれている丘)に案内板にのっていない立ち入り禁止の場所、気になりますよね~。
ブログ内を散歩させて頂きました。斎場御嶽、観光地になっていますが今でも地元の方の崇拝場所になっていますよね。
沖縄。個人的に隠居したら住みたい場所です。
Commented by utoutou at 2015-06-30 09:53
こんにちは。熱田神宮の奥の稜は謎めいていますよね。徐福渡来伝説がそれに輪をかけているように思います。スケールが大きいですよね。奥の稜から北に位置し火明命が祀られているという真清田神社〜美濃〜飛騨と一直線に繫がっている感じです。つまり飛騨が本当の奥宮ではないのかなと。

斎場御嶽のある沖縄南部にも徐福伝説がわずかに残っているのですが、こちらも大地に祭屋構図を描く点が同じ。斎場御嶽の奥宮(ナーワンダーグスク)から水源地である大里の頂きをつなぐ東西線上に御嶽が点々としてあります。ナーワンダーグスクについては「御嶽」のところに過去ログがありますので、よろければ…。
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