沖縄の天女伝説 ③ 羽衣は稲倉に隠された

沖縄はきょう旧盆のウンケー(お迎え)。
祖先の霊魂がこの世に帰っていらっしゃる日。


斎場御嶽の上の聖なる巨岩・ナーワンダーグスク
に風葬されたという天女神加那志
(てんじょしんがなし)の神霊も、
故郷に再び舞い降りて来られたか…。


アマミキヨ四世。同じく四世・天帝子加那志の妃。
(古代琉球の神々は兄妹婚だった)
一対の男女神は天孫氏王朝の開祖でもあると、
民間伝承をまとめた『琉球祖先宝鑑』は伝える。


また、語り部が聞いた伝承では、
天帝子と天女神の長男である
明東(ミントン)天孫氏が、初代王となったと。

そう分かったところで、
過去の天孫氏にまつわる記事も若干修正した。

記事に出て来る天孫氏の王墓
(琉球カントリー倶楽部内にある)には、
一昨年の夏に参拝。語り部が知る神女おばあたちは
生前、こちらでの祈願を欠かさなかったという。


ちなみに、天帝氏のお墓は南城市親慶原
(おやけばる)のアマチジョーにあるという。
天女神のナーワンダーグスクとは離れているが、
そもそも斎場御嶽を含む丘陵地帯と
その周辺は、古来、一体化していたと考えられる。


代々のアマミキヨが継いだ天孫氏王朝は、
ミントングスクを中心に大里・玉城・知念・佐敷…
玉城台地の周辺一帯を居城にしていた可能性がある。
※玉城の俯瞰地図は、こちらに掲載。


久高島から斎場御嶽左のナーワンダーグスクを望む(再掲)。
右の岩がイナグ・ナーワンダー=女の守護霊の御嶽。
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1年前の8月27日、あるルートから
イナグ・ナーワンダーの巨岩によじ登った。
地面には「女神」の道標があった。
ナーワンダーは農耕時代以前の風葬墓で、
近代になって人骨と機織機が出土したと言われている。
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さて、斎場御嶽の寄満(ゆいんち)とは、
「豊穣な収穫物が寄り満つる台所」の意味というが、
王府の記録には、必ずしもそうは記されていない。

寄満は、大庫理、三庫理と同様に重要な聖地だった。


3ヶ所の聖地には、等しく「御物壇」なる場…
神女たちが祈願するための基壇があった。
琉球王朝の『女官御双紙』には、寄満の御物壇のサイズが
記されており、その大きさは十六畳。
↓ 現在のサイズ、横7m、奥行き3.6m、高さ1.3mと、ほぼ一致。
しかも、敷石下から金銀の銭貨が出土した、
などなど、祭祀場としか思えない条件が揃っている。
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「寄満は台所じゃなかったのですね」
と確かめると、語り部は言った。
「古代には、五穀の倉はあったと思うのです。
伝説に出てくる天女の羽衣はどこに隠されますか?」
「稲倉です。だから、ここにも天女伝説があったと?」
「はい、天女神は機織り姫でもあったと思います」
「それで、ナーワンダーグスクから機織り機が出土した…」


ナーワンダーグスクの麓の寄満から、三庫理方向。
寄満の反対側の大庫理が王府時代末期には主祭場となった。
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斎場御嶽の御門口から真東に浮かぶ久高島を見る。
  この揺るぎない祭祀空間設計こそ、
天(海)の民だったアマミキヨの痕跡だと思う。
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by utoutou | 2015-08-26 21:28 | 天女伝説 | Trackback | Comments(0)
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