沖縄の天女伝説 ④ 中山王の母は天女

異種婚姻譚としての「羽衣伝説」「天女伝説」
は全国にあるが、沖縄でも「天人女房伝説」
として、古くから語られてきた。

「天女」でなく、なぜ「天人女房」かというと、
たとえば三保の松原の「羽衣伝説」のように、
男はすぐに天女に羽衣を返すのではなく、やがて
結婚して子どもをもうける筋立てになっているからだ。
おおむね以下のように。

男が水浴びをしている天女に出会い、
羽衣を穀倉に隠す。天女を家に連れ帰り、
やがて天女と結婚、一男一女が生まれる。
ところが、天女は、
子どもたちが歌う歌を聞いて羽衣のありかを知り、
それを纏い、子どもたちを残して天に戻って行く…。


沖縄の天女伝説で、まず挙げられるのが、
森の川(宜野湾市真志喜)に伝わるもの。
1372年に、中山王として始めて
中国との外交を開いたと言われる察度(さっと)は、
ここで出会った男と天女の間に生まれたという。



天女が水浴びをしていたと伝わる「森の川」。
いまでも水が湧き、沖縄県指定名勝の公園になっている。
ちょうど台風の合間の晴天で、空の青が水に映えていた。
a0300530_07370040.jpg


さて、察度(1321〜1396年)とは…
  『沖縄大百科事典』を参照すると、
中山王として、1350〜95年の46年間在位。
英祖王統最後の王・西威の世子の替わりに擁された。


父は、浦添間切謝名村の奥間大親(おくまうふや)
という貧しい男。天女との間に、
察度と姉(名は不明)が生まれた。

伝承によれば、察度の田畑には黄金が満ちていた
 ので、夫婦は黄金宮という楼閣を建てた。
人心を得たのは、その財力で牧港に入る日本商船から
鉄塊を買い、農器を作って農民に与えたためという。


察度の立志伝は、伝承ばかりか歴史でも語られる。
察度が泰期(異母弟か)とともに始めた交易は、
『明史』洪武5(1372)年の項に登場。
「中山王察度、弟の泰期を遣わして入朝」とあるの
をはじめ、『明実録』にも数回登場する。

ここまで史実が判明しているのに、なぜ
母はいつまでも、ただ天女として語り継がれるのか。
隠さなければならない系譜の女なのか。
奥間大親は本当に貧農の男だったのか…。
謎は多い。



森川公園は、現在の宜野湾市真志喜にある。
   那覇市内からカーナビを頼りに行き、30分で着いた。
   門を入ってすぐの駐車場奥に森の川はあった。
a0300530_07373946.jpg


王権との関わりを思わせる城壁?が丘の上に。
その先は広々とした運動公園になっている。
a0300530_11075193.jpg
















by utoutou | 2015-08-29 16:14 | 天女伝説 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://mintun.exblog.jp/tb/21590593
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 沖縄の天女伝説 ⑥ 天女は誰? 沖縄の天女伝説 ③ 羽衣は... >>