沖縄の天女伝説 ⑨ 天久宮(あめくぐう)はアマミキヨ宮

「天久(あめく)の由来はアマミキヨ」
という言い伝えが気になったので、探ってみた。

古代この島に着き、
本島南東部のミントングスクに住居を構えたという
沖縄の始祖アマミキヨの痕跡が、
なぜこの西海岸の近くに残っているのか?

まず、地形からひも解いてみようと思う。
現在の天久宮は泊港に近く、沖縄県庁前から約1㎞。

国道58号線から入ってすぐ、都会のど真ん中だが、
巨大な石灰岩の磐座があったであろう古の地形を
偲ぶ手がかりは、まさに天久宮由緒のなかにあった。

〜 往古、銘苅村にいた銘苅の翁子が、
夕陽の没する頃、天久野で、法師と気高い女人が、
山上から下ってくるのに出会った 〜

「天久野」で、銘苅の翁が、「山の上」から下りてきた
女人と会った…のだから、女人は天久の隣村(北側)
の銘苅(=野原)に向って下りたと、推理できる。


天久宮の拝殿。現在は泊という住所だが、元は天久。
こちら拝殿の奥にある本殿は千木のある流造。
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また、
琉球王朝の地誌『琉球国由来記』(1713年)は、
真和志間切(間切=行政区としての村)の
天久村の項に、4つの御嶽があったと記すが、
御嶽の神名が、この天久の地形を言い当てている。

天久之嶽 神名 オシアゲ森之御イベ
潮花ツカサ 神名 ヨリアゲ之御イベ
天久寺御嶽 神名 オダシ森之御イベ
天久之子小嶽 神名 コバノ森御イベ 

神名にはすべて森が付き、オシアゲ
やヨリアゲの意味から、海山の豊穣が集まる様を示す。

語り部に聞くと、4つの御嶽のうち3つは、
現在の天久宮の地から、その北の副都心(おもろまち)
近くまでの広範囲にわたって点在していたという。

いっぽう上記のうちの御嶽名・潮花ツカサは、
沖縄の始祖アマミキヨの着いた南部の聖地
ヤハラヅカサの海岸上にそびえ立つ御嶽名と同じだ。

潮花とは、波が大岩に当たって弾け飛ぶ様を言う。
つまり、少なくとも300年前は、
天久村は、銘苅の隣町にあり、巨大な岩山が海ぎりぎり
まで迫っていた大きな村だったことになる。



天久宮の本殿は、このように岩山に超接近。
階段の上がいわば岩山の頂きで、龍宮神の拝所がある。
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沖縄中の神事に関する口伝を集めた『琉球祖先宝鑑』を開く
と、阿摩弥姑(アマミキヨ)志仁礼久(シロミキヨ)
三世として、天久大神の神名が載っていた。

そして、この地に眠るのだとも…。
〜天久大神 玉骨は真和志天久村の白浜の前の
高岩の穴に埋葬せらる。居所は、同村の志利川と云ふ家也〜

『琉球祖先宝鑑』は巷間伝わる口伝をまとめた
に過ぎないと言われるが、この地にアマミキヨ三世が
埋葬されたという伝承と、地名の由来が
一致するという情報は、相当にリアルだ…。 



天久宮の境内にある権現堂。写真右の赤いお宮が弁財天。
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by utoutou | 2015-09-10 22:24 | 天女伝説 | Trackback | Comments(0)
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