沖縄の天女伝説 ⑬ 鍛冶神ハニマンガナシーと大物主大神

おもろまち駅に近い銘苅の遺跡から、
グスク時代(11、12〜15世紀)の「ふいごの羽口」
や、炉跡(鍛冶遺構)が出土したという記録を、
国会図書館で閲覧したときは、かなり萌えた。

ズバリ古代産鉄地であるとの確証は得られないものの、
縄文時代後期の時代にも遡る遺跡群の、
一部に鍛冶炉(カンジャー)や鍛冶(カニマン)の
遺物が認められたことは、逆に、
もっと深い地層に埋もれたかもしれない
「御先(うさち=上古代)カニマン」の痕跡を彷彿とさせる。

久高島の主祭殿・外間殿にも、また、
アマミキヨの神紋を掲げる大里西原の拝所にも、
鍛冶神・カニマンガナシーがいまでも祀られている
ことは「沖縄の鍛冶神」という記事に書いたが、ならば、
その神こそが渡来のアマミキヨではないかという
考えがおのずと湧いて、しばらく脳裏から消えなかった。

ヤマトにあって、鍛冶神とは大物主のことだと
『古代の鉄と神々』に著したのは真弓常忠氏だ。

日本最古の神社と言われる奈良県の大神神社。
そのご神体である三輪山に祀られる大物主大神、
    すなわちオオナムチ神(大穴牟遅神、大穴持神)    
とは、大穴=鉄穴(鍛冶穴)に坐す神であると。
その表現がまさに、沖縄各地にいまも
残る古の鍛冶屋洞穴(カンジャーガマ)とダブった。

いっぽう、語り部から聞いた古代琉球王朝の存在、
そして、その民族はヤマトへと北進したという口伝
を思い出せば、ハニマンガナシーがヤマトに達して
大物主と呼ばれたという連想も、我ながら不自然とも思えない。

そんな折、語り部から電話が来た。
「大物主神とは、どんな神ですか? ブログで
銘苅港川原遺跡の話を読んでから、気になっています」
大物主大神とは、はたしてハニマンガナシーと同神なのか!?

長くなったので、次回につづく…。
銘苅遺跡の写真を持ち合わせないので、
古の那覇(真和志)を偲ぶための写真などを以下に…。



↓ 現在の那覇市牧志2丁目。
左手方向に数分行けば、ゆいれーる見栄橋駅、
      右に行けば国際通りの市場本通りアーケード入口。 
書店・ジュンク堂の向かい側にあたる一帯は、
王朝時代から十貫瀬(じゅっくんし)と呼ばれる海だった。

現在はホテル、飲食店、レンタカー営業所などが並ぶ。
ちょうど銘苅川を訪れた日の夜に通りがかると、
↓人気の九州ラーメン店・暖暮(だんぼ)に長い行列が。
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那覇は古来、浮き島で、琉球王朝第一尚氏時代
・尚金福王の時代(1452年)、中国から来る冊封使
港から首里方面へ迅速に迎え入れるべく、長虹堤
( ちょうこうてい という全長1㎞の海中道路が設けられた。

葛飾北斎『琉球八景 長虹秋霽』(1832、天保2年頃)
にも、このように長虹堤が描かれているが、
ラーメン店・暖暮の位置は、ちょうど長虹堤のふもとあたりか?
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以下は『沖縄大百科事典』から拝借した那覇の古地図。
現在は前島にある夫婦岩公園のあたりは海だと分かる。

  地図の右上、銘苅川の流れる天久台地が、陸としての
「国のはじまり」だったことは、確かに地形からも窺える…。
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by utoutou | 2015-09-23 01:27 | 天女伝説 | Trackback | Comments(0)
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