沖縄の天女伝説 ⑯ 神女・君南風は弁財天(市杵島姫命)

大物主神を大田田根子が祀ると、世の混乱が治まった
という、奈良・大神(おおみわ)神社の御由緒。
それと、弁財天が祀られる天久宮の御由緒が似ている
気がして、一体どこが似ているのか? と思っていたが、
突然、絡まった糸がほぐれるように閃いた。

いや、単純明快な話だった。
大田田根子がそうだったように、
神祀りをするのは、その神の子孫なのである。
よって弁財天を祀った銘苅村の翁とは、
弁財天を祀った一族の子孫だと考えられないか?

天久宮の「由緒」を改めて見る。
銘苅の翁が、洞窟に消えた女人を不思議がって
祀ると、そこに熊野権現が現れて神託を下した。
「かの女人は国家の守護神なり、弁財天である」と。



この夏、訪れた天久宮(那覇市泊)境内駐車場からの眺め。
a0300530_20142552.jpg


トラックのイラストが映ってしまったが、御祭神に弁財天と。
古代は海沿いだったためか、天龍神、龍神といった神名が並ぶ。
a0300530_20152306.jpg

さて…、
熊野権現そして弁財天と言えば、天河大弁財天神社
が思い出されるが(といっても参ったことはない…)
主祭神は市杵島姫神(いちきひめのかみ)という。

その女神はまた、宗像三女神のうちの一柱とも、
海部・安曇・尾張など海人族の祖・火明命
饒速日命)と一対を成す女神とも言われ、
亦の名を、縄文の神・瀬織津姫という。

本地垂迹の時代には、弁財天と習合して祀られた。
そして…この弁財天と一対になるのは大黒天。
神道では大物主と呼ばれる神である。

その男女神を天久宮に祀ったのは、銘苅の翁。
つまりアマミキヨ、天孫氏の末裔だったと思われる。

ところで、
創建時期について、天久宮由緒は次のように記す。
〜お宮の創建は成化年間と伝えられる。
(尚圓、尚宣威、尚真王時代、1465年〜1487年)〜

成化年間とは、当時の琉球が冊封した明の第九代
皇帝・憲宗(成化帝)の在位期で、1464〜1487年。
この間が、尚円・尚宣威・尚真の時代と一致する。

その琉球国王、第三代までの在位年はというと
初代・尚円王は、1470〜1476年、
尚宣威王の在位は、1477年(在位は半年)、
尚真王の在位は、1477〜1526年。

その尚真王は、当時14、5だったと言われる実妹の
聞得大君・音智殿茂金(おとちとのもかね)とともに、
八重山征伐(1500年)に出立する前の戦勝祈願を、
斎場御嶽の再奥の拝所である寄満(ゆいんち)で行った。

結果、八重山征伐(オヤケ・アカハチの乱)に戦勝したが、
戦いを勝利に導いたと言われるのは軍尼・君南風(チンべー)。
彼女に依り憑いた霊力(しじ)とは、宗像三女神の三女
・市杵島姫命に比定される女神・弁財天だった。

このことを考えてもやはり、
銘柄家は古代海神族(天孫氏)の末裔に違いない。



宗像大社(福岡県)にある古代祭祀場(高宮祭場)。
宗像三女神が降臨した聖地と伝えられる。
全国でも数少ない古代聖地跡とも言われるが、
その空気感は沖縄の御嶽と、よく似ていた。'13年12月撮影。
a0300530_20511630.jpg






by utoutou | 2015-10-06 09:19 | 天女伝説 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://mintun.exblog.jp/tb/21710236
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 沖縄の天女伝説 ⑰ 弁財天は聞... 沖縄の天女伝説 ⑮ 大物主(蛇... >>