さて、海を出てからは、天女ゆかりの川泉へ。 那覇市首里に、佐司笠樋川(さしかさひーじゃー)がある。 銘苅子(めかるしー)と天女の間に生まれた 銘苅家の娘は、琉球王朝・尚真王夫人となり、 一女を生んだというが、この王女(天女の孫)が 向氏・見里王子朝易に嫁ぎ、三十三君である 佐司笠按司加那那志(さしかさあんじがなし)になった。 首里の桃原(とーばる)にあるのは首里桃原(とーばる) に建つイタリアン・レストラン「ラフォンテ」。 桃原通りを車で走行中、 何度か綺麗なグリーン色のエントランスを見ていた。 それが、佐司笠按司加那志の御殿跡だったとは驚いた。 近代に入ってからは、松山御殿が建っていたという。 琉球王朝最後の王・尚泰王の第 その築造による桃原農園もあったと、サイトに記されている。 レストランの庭園奥に現存する佐司笠樋川 (さしかさひーじゃー)の別称は鷺泉(けいせん)。 佐司笠按司がフクギの木に白鷺が止まっているのを見て、 探り当てたのでその名が付いたのだとか。 華やかで洗練された首里城の城下町、いまは お洒落なレストランとなった御殿後に、 昼なお暗い石囲いの下、500年枯れない川泉はあった。 天女の孫・佐司笠按司加那志が見つけ日々祈った 佐司笠樋川の隣りには、対となった川泉もある。 世果報樋川(ゆがふひーじゃー)と呼ばれてきたという。 ふと、この地は誰のものだったかと思った。 天女は天から来て帰ったのだから。 銘苅家のものだったはずである。 「銘苅子は大地主」と語り部は言ったが、 この首里までもその領地だったのだろうか…。
by utoutou
| 2015-10-20 10:43
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