沖縄の天女伝説 ⑲ 銘苅御殿は語る

天女と結婚した銘苅子が祀られている
銘苅御殿(めかるうどぅん)は、米軍からの
土地返還(1987年)後に開発された新都心の一角にある。
神屋も真新しく、銘苅子とおぼしき肖像画 も新作のようだ。
案内してくれた語り部は、描いたのは
沖縄出身の日本画家・故 柳光観氏ではないかと言う。
(※御殿(うどぅん)とは、一般に王族の建物を指す)


ただ、神壇に香炉と位牌がないため、
各地の元家にある神壇とは、決定的に印象が違う。
この家の御元祖(うぐわんす)を示す位牌を祀らないという
ことは、銘苅家が断絶してしまったということだろう。
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上に掛かる扁額には「凌雲堂」と。
左(上座)には火の神が祀られ、右に天女の絵が掛かっていた。
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↓ 昇天する天女を描いた日本画も、柳画伯の作品か。
絵の下に描かれるのは、長じて尚真王夫人
となった銘苅子の長女と、まだ小さかった弟か?
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神屋の外には、古い香炉が並び祀られている。
香炉は、右から(天女と銘苅子の出会った)シグルクガー、
(天女が降りた)アマオレガー、御嶽。そして、
ヤマトと唐に当てられた御香炉だと語り部は言う。


ヤマトと唐に関連する香炉がある…。銘苅家はやはり
水運と貿易に従事した古代海人族の末裔なのだろうと思う。
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香炉の佇まいが語るように、銘苅御殿の歴史はとても古い。
天久宮が創祀された成化年間(1464〜1487年)、
この銘苅の地に天久宮を創祀した「銘苅の翁」がいた。

シグルクガーで天女と出会って娶った
「銘苅子」は、翁の次代の銘苅家当主だったか。
伝説に残る銘苅家代々の当主が、
神壇の肖像画に集約されて描かれているようだ。

繰り返すが、位牌はない。
そこには一体どんな意味が? 語り部は言う。

「権力によって封じられた家なのだと思います。
銘苅子の墓も戦前はこの地にあったそうですが、
返還後の再開発で(那覇市)識名に移されています」

その「銘苅子の墓」一帯は、
考古調査により銘苅北地区古墓群遺跡と命名された。
古墓からは、向姓湧川家代々の骨壺が発掘されたと、
『銘苅古墓群』報告書(1998年、那覇市教委刊)は記す。

〜この墓から出土した蔵骨器の銘書き(みがち)と、
那覇市企画部市史編集室が発行した『家譜資料(首里系)』
に掲載されている「向姓家譜湧川家」の家譜とが一致した。
この墓は銘苅子の墓と言われている。〜(以上引用)
(※蔵骨器(じーし)は骨壺。銘書きは壷表に墨書された名のこと)

銘書きを家譜とを照らし合わせた結果、
次のような埋葬者と判明したという。

・(九世)越来(親方)朝盛/室
・(十二世)朝喬湧川親方/室
・(十三世)朝興湧川親方
・(十三世)朝興湧川親方/継室
・(十六世)朝愛/五女真加戸


さて、
「銘苅子の墓」に湧川家代々の人々が眠る理由は、
銘苅子の孫・佐司笠按司が湧川家に嫁いだからだった。
    父・尚真王の叔父で二代王・尚宣威の二世
である、里美王子朝易と結婚した。

相続の話は、王府の正史『球陽』(1743年)にある。
〜羽衣を見つけた天女が飛び去った後、男子ふたりは夭死し、
長女は尚真王夫人となる。茗苅子(=銘苅子)には
跡継ぎになる子がなく、その采地(さいち=領地)
を譲って外孫の女佐司笠按司加那志に伝えた。〜(※意訳)


そのことは、語り部も神女おばあから伝え聞いていた。
「尚真王から佐司笠按司への遺言があったそうです。
あんたが男だったら家督を継がせたかったが、
女だから、婿との間にできた子から継がせなさいと。
ところが、生まれた子がまた女だった。
そのため、湧川家が銘苅家の家督を継いだ、と…」

語り部は常々言っていた。
「それほど、銘苅は大地主だったと伝わっています。
銘苅口説の文句にもあると言いましたね。
〜国のはじまり銘苅国、川のはじまり銘苅川〜
国とは真和志のこと、古代から陸地だった地域を指します」

  
銘苅御殿を出てから、天女は誰かという話になった。
「そろそろ天女は誰か、分かってきましたね?」
「銘苅家の女ですね。
そして、御先世(上古代)からこの地に住んだ海神族
が崇めた女神の霊力を継ぐ日巫女だったのだと思います。
銘苅子と天女は、古代の習俗のまま同族婚だった。
それを隠す必要があって、天女として語り継いだのでは…」

天女伝説が語られる『球陽』や
『琉球国由来記』は、1700年代前半の編纂。
薩摩による琉球侵攻(1609年)の百年後である。
琉球の古代信仰は隠さざるを得なかったのか。
  


銘苅御殿は、現在のおもろまちにある。
周囲には真新しいマンションや病院など各種施設が立ち並ぶ。
右手前、赤瓦の屋根の建物が銘苅御殿。
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by utoutou | 2015-10-20 13:54 | 天女伝説 | Trackback | Comments(0)
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