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東国三社 ⑦ 龍蛇族の渡来経路

「ノアの方舟」「ムー大陸沈没」を思わせる
洪水は、はたして本当に古代琉球に起こったか。

『失われたムー大陸』の著者 J・チャーチワード
は、南太平洋のポリネシア諸島を覆うような、
文明の発達した巨大大陸が一瞬にして水没したのは、
地球に大地殻変動が起きた12000年ほど前だったと
と記したが、「古代天孫氏王朝17802年」という、
琉球王朝国史の記述と付き合わせると、その王朝は
大洪水をまたいで再興されたと考えてもよいものか。
(※国史は洪水伝説には言及していない)

戸惑っていると、語り部は続けた。
「ムー大陸だけではないのです。南太平洋上には
アトランティスやレムリアも、何万年か前にはあった
と思わせる伝えが、沖縄にも数十年前までありました」

例として語り部は、ミントングスクの神紋を挙げた。
↓ 沖縄の始祖神・アマミキヨの住居跡である
ミントングスク(南城市)の神壇に残るその神紋。
先代当主の手による彫刻だというが、
語り部は、その由来が三大陸と考えられると言った。

「レムリア、ムー、アトランティス。その
3大陸が、三つ巴紋の元々の由来だと思います。
ミントングスクには不思議な口伝がありました。
“うちはアダムとイブの子孫だよ”と、先代の
おじさんが言っていたのを聞いたことがあります。
アダムから数えて十代目がノアですからね。
3大陸が沈む洪水はあったと言わんばかりでした」
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「あ、それで…」と、そのとき、私は、
ミントングスクの崖上神域にある
「ニライカナイの御嶽」を思った。
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古代琉球は太陽信仰だったというのに、
ニライカナイの御嶽(写真中央の木の下)
は、日の出の東(あがり)を向いていない。
神域の西(いり)に位置しており、
夕陽の沈む西を向いているのである。
それは民族の折り返し地点だった地球の西方か?
東国三社 ⑦ 龍蛇族の渡来経路_a0300530_17570702.jpg


「では、この三つ巴を取り巻く菊花紋とは、
古代ユダヤの十二氏族か、シュメールの太陽神?」
私はそう訊ねたが、語り部はやんわり否定した。
「あくまでも龍蛇族はムー大陸から発したと思われます。
この南海の島々から旅立ち、中東のシュメールを
折り返し、里帰りしてきたのだと、私は見ています」

「折り返した……何のために?」
「古代の人たちは神託に従って動いたのでしょう。
クナト神の率いた龍蛇族は、二通りの経路を辿って
私たちの住む極東の島々へと渡来したと思います。
太平洋(ムー大陸)から北上した一族(国津神)、
そして、中東(シュメール)へ行って帰って来た
一族(天孫族)、二通りがいるということです」
「白人・黒人・黄色人が二通り?」
「いえ、実はそれ以上で、五色人がいた」
「はあ…」
「若い頃、私はアマチジョウガマ(南城市)
で、五色の龍が弊立神宮(熊本県)へと流れていく
のを見たことがあります。
それを神女のおばあに伝えると、返事は…
あたんどー(そう伝わっていたよ)の一言でした」
(※南部戦跡でもあったアマチジョウガマは、
新里佐敷にある「上嶺口」とも呼ばれる)

五色の龍(五色人たち)は琉球にいた。
そして、弊立神宮のある熊本へと移動した。
神宮では「五色神祭」が、いまも続いているという。

また五色の龍については『琉球祖先宝鑑』に、
同じ伝説が記されている。(以下要約)
〜アマチジョウの穴内から生じた青龍が昇天した。
時を同じくして五色の瑞雲が空に流れた。そのとき、
大東(うふあがり)からシロミキヨという男神が、
大荒(うふあら)からアマミキヨという女神が、
天降りして、青龍化生の洞穴に入った。〜

「でもなぜ、弊立神宮へと流れて行ったんです?」
 「この南方の島々から東へと上がって
行った人々は、気のよい土地を移動しました。
いわゆるゼロ磁場で、龍脈とも呼ばれますね」
「ああ、ゼロ磁場の連なり…中央構造線ですね」

というような会話をしてから、7年が経つ。
古代ヤマトで東国と呼ばれた鹿島灘は、
中央構造線の東端にあたると気づいてから、
当時聞いた古伝が、まざまざと甦った。  

※中央構造線とは何かについては、こちら
(大鹿村中央構造線博物館)のサイトが詳しい。




アマチジョウ洞穴の上の御願所。
この地から五色の龍が、弊立神宮へと流れて行った
と、琉球口伝は言う。弊立神宮は中央構造線の南端と、
言われてきたが、始点は沖縄か、さらに南だったか。
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by utoutou | 2015-12-11 13:15 | 神社 | Trackback | Comments(13)
Commented at 2015-12-12 10:38 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2015-12-13 12:13
> 徹平さん
こんにちは。琉球は日本人のルーツ、そうだと思います。
『おきなわルーツ紀行 聖書でひも解く沖縄の風習』は、はい、私が書きました。5年前ですね。ただ渡来の歴史は聖書よりももっと古いのかもしれないと思ってまして、その理由のひとつが最近こちらに書いた「ムー大陸沈没」。で、沖縄通いが終わらなかったわけです。笑
Commented at 2015-12-13 12:49 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2015-12-16 09:40
> 徹平さん
こんにちは。そんな言い伝えがあったのですね。
もしや、そのコースは神武と関係のあるものでしょうか?
伊平屋のクマヤー洞窟からですと、弊立は最短距離のようですね。

アマミキヨとアマテラス…。ミントングスクの屋号・天祖(アマス)がその系統(男神である天照大神)かと思っていますが、すっきり腑に落ちるには、道は長そうです。笑
Commented at 2015-12-20 14:49 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2015-12-21 09:00
> 徹平さん
こんにちは。伊平屋島のその話は初めて聞きました。ありがとうございます。
神武といえば、私も最近気になっていたので、奈良と熊野に行ってきました。
神武東征の逆コースを辿る旅。笑
近々レポートいたします。
Commented by at 2015-12-21 23:03 x
おおお、奈良と熊野いいですねー(>∀<●)ノ私も気になってたので24と25休み取って行こうかと思います。沖縄に行くことになった年の新年をたまたま単身赴任中の父親がいる名古屋で過ごすことになったのですが、父も歴史好きで高鴨神社が好きすぎて一緒に連れられて車で行ったのを覚えてます。父親の遺伝子を受け継いだからかあれ以来ずーっと高鴨神社は気になります!今回の旅でまた行こうかと。神武東征の逆コース楽しみですΣd(゚∀゚d)
Commented by utoutou at 2015-12-24 02:27
> 煎茶さん
こんばんは。返信が遅くなりました。側高神社、参ってみたいです。その禁忌メッセージ自体が謎めいていますね。「中臣氏奉斎の神vs.地主神」といった勢力状態の反映は東国一帯に見られるようで、とても興味深いですよね。時の権力によって神名を上書きされたかもしれない○○大神(と女神)の気配を感じるとき、足を運んでよかったなと思います。

Commented by utoutou at 2015-12-24 02:53
> 寅さん
語り部によれば「近江は大海」だそうですので、海神(人)の古代文化が定着していたのだろうなと思います。私は今回、当初は近江八幡と天川の2ヶ所へと考えていたのですが、熊野へ川沿いに下ってみたくなりました。で最後、勝浦の海を眺めて帰る途中「神武上陸地」みたいな看板を発見。その横に熊野坂津神社というのがありまして、なるほどと。いかにも上陸しやすそうな地形でしたよ。
Commented by at 2015-12-25 18:06 x
utoutoさん、こんにちは!アドバイスありがとうございます。熊野まで奈良から一直線で来ました。細い山道の運転3時間疲れました〜(笑)確かに山間にずっと川が流れました。これかーと思いました。私は神武東征の道は高い山だらけで普通に考えたら相当大変だよなと思ってましたが川をうまく使えば、もしかして…と運転しながら思いました。熊野川下流は間違いなく海の民族が黒潮とともに生きていたように思いました。すると八咫烏も海の民族?と思い始めてます。八咫烏は山の民族との先入観が海と川を見て考え方が変わりますね
Commented by utoutou at 2015-12-26 16:51
奈良熊野を一気に3時間で。超速ですね!
私は十津川のホテルから玉置神社の往復運転だけでビビりましたよ。笑
お疲れさまでした!
Commented by at 2017-09-30 20:17 x
utoutoさん、こんにちは(>∀<●)ノこの記事を読んでからずっと幣立神宮気になってたので、今日行って来ました幣立神宮!阿蘇山の近くで、ここにも書かれてるようにゼロ磁場だからか、神宮に向かう車の中から頭がフラフラして、神宮の駐車場に車を停めた時には、平衡感覚を保つのが大変で…(;・ω・)神宮内でも倒れないように立って、歩くのが精一杯で、週末でそれなりに人もいたのですが、みんなよく平気な顔してお参りしてるなと思いました(´ロ`ノ)ノ神宮の裏に色々見るところがあるみたいで全部見たかったのですが八大龍王が静まる池というところまで行って帰るのが精一杯で、フラフラで戻って来ました…。その後高千穂行ったのですが、フラフラが抜けきらず、道の駅で少し車の中で横になりました。今まで御嶽や神社でこんな経験したことなかったので、改めて幣立神宮ミステリアスだなて思った次第です…。そういえば御嶽入って一度だけなんだろと少し頭がフラフラするなと思ったのが小説テンペストの世界観を知ろうと入った馬天御嶽がある小さな木に囲まれた空間ですかね。今思えば、あれ以来古代に導かれてる気もします…。いろいろ不思議です…
Commented by utoutou at 2017-10-03 15:18
> 寅さん
こんにちは。弊立神宮へ行かれたんですね。フラフラになった経験は私にはありませんが、身近で見たことがあります。本当に平衡感覚を失って、トランス状態になるのですよね。その本人自身も知らない領域で何かの波動とシンクロしているように見えましたが。それなのに、弊立神宮から高千穂まで車の運転とはよくご無事で。お疲れさまでした。
ところで、先日ちょうど、この五色の龍の話をいつ書いたんだったかなと思っていたところなので助かりました。アマミキヨは「アダムとイブの子孫」という話、繰り返し書いてしまうところでした。沖縄の口伝で、超古代の呼び名で「ハチャブラー世(お面の世)」というのが、「角のある人の世」の次にありまして、聖書の言う「アダムは泥から作られた」の時代とリンクするらしいのですがが。。あ、いま気がつきましたが、それは弊立神宮の五色面の時代のことでもあるかもしれませんね。諸々ありがとうございました。
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