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神武の来た道 ① 橿原神宮

橿原神宮(奈良県橿原市久米)。
畝傍山の南麓に広大な神域(50万平米)が広がる。
参詣客もまばらな参道を急ぎつつ、師走感を満喫。
正月三が日は県下一、二の人出になるという。


拝殿前で、初詣のための干支画に目を奪われた。
12年ぶりの「猿」に歓声。というか「おっ」と呟く。
神武の来た道 ① 橿原神宮_a0300530_07332217.jpg

祭神は、神武天皇。
姫蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)。

当初は、神武の長子で
ありながら弟に皇位を譲った神八井耳命を祀る
多神社(奈良県磯城郡田原本町)に行く予定だった。
多氏は鹿島神宮の元宮と呼ばれる大生神社の
本来の祭神・建借間(たてかしま)を、また
諏訪大社の健御雷(たけみかずち)を祀った。
大和建国に関わる古社には多氏の存在がある…。

ところが、その日の
宿泊は、天川弁財天のある吉野郡天川村。
当日中に最終バス(天川村15時半着)に乗るには、
田原本町駅からかなり歩く多神社に参る余裕はなく、
結局、同じ近鉄沿線ので6駅目の橿原神宮へ。
こちらなら、ほぼ駅前に鎮座している。


初詣には人の波で埋め尽くされる、橿原神宮境内。
正月準備として絵画展のテントも設営(写真右)。
神武の来た道 ① 橿原神宮_a0300530_07333099.jpg


テント内で「神武天皇御一代記御絵巻」が開催中。
橿原神宮への最後の道程、この逆コースを行く旅
なので、まさにタイムリーな企画と出会った次第。
神武の来た道 ① 橿原神宮_a0300530_07333970.jpg


↓一代記の7番目は「八咫烏先導を給はる」
その舞台となった玉置神社は今回の旅のメイン。
3泊するバス旅の幸先よい予習ができた感じ。
神武の来た道 ① 橿原神宮_a0300530_07334702.jpg

境内の西にある深田池の佇まいが清冽。
西参道(写真右)の先は西の鳥居、手前は神饌田。
神武の来た道 ① 橿原神宮_a0300530_07335754.jpg

本殿と深田池の間に、長山稲荷社が鎮座。
神武皇后はホトタタライスズ姫ともいう大物主の娘。
ホトとは琉球語でも同じで、子宮または火床の意味。
出雲の製鉄鍛冶王の娘と結ばれたこの地で、
神武東征の旅は終わり、倭建国が始まったわけだ。
神武の来た道 ① 橿原神宮_a0300530_07354115.jpg

本殿へは赤い鳥居の参道を行く長山稲荷。
熊野路〜大和路、そして熊野川〜吉野川を
遡る橿原への「神武の来た道」とは、
朱砂を産出した丹生の川を遡る道でもあったのだ。
神武の来た道 ① 橿原神宮_a0300530_07340810.jpg






by utoutou | 2015-12-25 15:42 | 神社 | Trackback | Comments(0)
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