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六甲山と瀬織津姫 ① 宝珠は隠された?

沖縄では「ぬぶしぬ玉(命・魂の玉)と
呼ばれてきた宝珠(如意宝珠・火炎宝珠)。

八臂弁財天が持つ如意玉として、私などには
馴染みが深いが「六甲比命大善神」こと瀬織津姫
を祀る神社(兵庫県神戸市灘区)でもそれを見た。


磐座(本殿)の前にはこうした拝殿があり、
三弁宝珠を配した天幕が張られていた(写真再掲)。
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拝殿の奥に、六甲比命こと瀬織津姫の磐座がある。
参ったのは、もはや旧聞に属する2月22日のこと。
桜の開花など予想もできなかった極寒の時期。
磐座の外にはツララが列を成して下がっていた。
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宝珠の話をした数日前、語り部が霊視をした。
「六甲山のあたりに、琉球に関係のある何か
が隠され、祀られていますね…」

 話の脈絡から、私はヤマをかけて質問した。
「つまり、宝珠がどこかに隠されていると?」
「まだ、分かりません。ただ、
琉球の神様に関係のある何かだと思います」

さて、六甲山のどこに、何が隠されているのか。
あの日、初めて歩いたルートを振り返ってみる。



まず、沖縄の始祖かと思われる(そう推理した
以前の記事は、こちら)天穂日命の磐座へ行った。
六甲山スノーパーク(冬期のみの人工スキー場)
こと、六甲山カンツリークラブ内の山上にある。
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以下、説明板に示された由緒
〜天穂日命の古代祭場(ひもろぎ)
この、やさしくも気高い巨石は、はるかなる
大昔、六甲山に天降りされた天のホヒの命
(天孫ニニギの命の叔父)をお祭りした磐座で、
神籬と呼ばれています。ヒモロギとは、木材
を使って神社を建築しなかった大昔に、巨大な
石を使って築いた古代斎場のことで、外国では
メンヒルと呼ばれています。(後略)
六甲山・甲山周辺の古代遺跡保存会〜



天穂日命の磐座は、六甲山カンツリーハウス
 に入ると、正面の山頂だな…とすぐに分かる。
家族連れや外国人グルーブの歓声が響くなか、
黙々と登ったが、特に怪しまれることもなかった。
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さて、六甲比売神社
(↓中央左に加筆した赤矢印の先端あたり)は、
天穂日命の磐座(スキー場内)からまっすぐ西へ、
300メートルほど離れた山中にあるという。
スキー場の駐車場を出て、迷いつつも、
徒歩15分ぐらいで、なんとか辿り着いた。


ほぼ東西軸に沿って一対のように存在する
   六甲比売神社と天穂日命の磐座、その関係とは?   
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六甲山カンツリーハウスのスタッフに教えて
いただいて、駐車場から六甲比売神社を目指した
が、それはどうも通常の逆コースだったらしい。
別荘地の奥から登ると、まず大岩が見えてきた…。
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大岩は(歩きつつググると)、仰臥岩という。
人為的に整えられたのか、まさら仰臥した形状。
奔放に枝を伸ばしている樹々が、この山の尋常
でないエネルギーを物語っているように見えた。
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磐座群の奥に、その中心をと思われる御嶽が…。
なんと、石に刻字されていた銘は、
〜 八大龍王・華山法皇・熊野権現・佛眼上人 〜
華山法皇とは、花山法皇のことだろう。
退位して出家した花山法皇(968〜1008年)
が、この六甲山に熊野権現を祀っていたとは。
熊野権現とは一説には、瀬織津姫。
花山法皇でこの地で瀬織津姫を感応したのか。
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仰臥岩から細い山道を下ると、雲ヶ岩に出た。
ここは、法道仙人(6〜7世紀の僧)が修行中、
毘沙門天が姿を現したという伝説の地だという。
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雲ヶ岩から坂道とアルミの階段を降りると、
やがて、六甲比命神社と思しき拝殿が見えてきた。
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さて、この六甲山の神域に、あるいはその周辺に、
沖縄ゆかりの宝珠らしき何かが祀られているのか?
語り部にも、その難問はまだ解けていないらしい…。







by utoutou | 2016-04-02 19:12 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(8)
Commented at 2020-02-22 21:03 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2020-02-25 07:55
> tomoさん
こんにちは。石垣島では於茂登岳の周辺だけ、六甲山と同じ花崗岩地質のようですね。石垣島へ行った後、御嶽を思い出しながら、確かに似ていたなとスマホの画像を指で広げながら思ったことがあります。カタカムナ族(アシア族)など先着渡来族にとっての女神と、この列島にいた先住民にとっての女神は同じだったのだろうと考えています。そういう意味では、私たち誰もが見えない女神的な何かと繋がっていると言えるのかもしれませんね。
Commented by tomo at 2020-02-27 11:51 x
>石垣島では於茂登岳の周辺だけ、六甲山と同じ花崗岩地質

そうなのですね。まったく知りませんでした・・・(^^;)
信じる信じないは関係なく、この一年の流れから、六甲比売神社へは行かないといけない気がしています。
こちらの写真や地図を参考に近々お詣りに伺いたいと思っています。
Commented by utoutou at 2020-02-27 17:28
> tomoさん
私も六甲山系がこれほど重要な場所とは知りませんでした。そして、まだまだ解けないままの古史が隠れているような気がします。道中お気をつけてお参りしてくださいね。
Commented by tomo at 2020-02-27 19:35 x
ありがとうございます。気を付けて行ってきます。
「カタカムナで巡る聖地巡礼」という本に、私の先祖が関わる石垣島の「大浜海岸」のことが書かれていて、そこに海彦・山彦が玉手箱を持って流れ着いたという神話が残っていると書いてあります。そして、そこに封印されている女神がイリキヤマアリが瀬織津姫だというのですが・・・
utoutouさんはどう思われますか?
実は他にもそういったことを示す記事がないかと探していますが見当たらないのです(^^;)
六甲山の比命神社にある資料などで何かヒントになるものはないでしょうか。
Commented by utoutou at 2020-03-01 14:39
> tomoさん
こんにちは。「カタカムナで巡る聖地巡礼」という御本は拝読したことがないので、すみません、イリキヤマアリと瀬織津姫とを同神とする説を存じ上げません。イリキヤマアリがオヤケアカハチも信仰した土着の(女)神で、その祭祀が琉球王朝によって禁止されたという意味では、封じられた神と言えるのだと思いますが…。そして、於茂登岳に宗方三女神の次女が降臨したという新しい大和神話が作られたと。それから、私などは、於茂登岳の「水元の神」のほうに瀬織津姫を感じたものでした。伝承の紐解きは面白くて難しい。悩ましいことですね。
Commented by tomo at 2020-03-02 10:12 x
ありがとうございます。
utoutouさまがご存じでないなら、私が探しても見つからないはずですね。(笑)
先日のうるうの日に、廣田神社→越木岩神社→六甲山比命神社→芦屋神社とお詣りしてきました。
六甲山比命神社は、 utoutouさまの記事を片手にまわれたので、心強かったです。ありがとうございました。
お天気が悪かったので、車でしたが、 六甲山比命神社帰りの芦有道路のドライブインで、カタカムナに興味を持つ女性と出会いました。面白いですね。
次は、登山で六甲神社と六甲山比命神社に行きたいと思っています。
Commented by utoutou at 2020-03-06 16:32
> tomoさん
六甲山の神社巡り、行ってらしたのですね。お疲れさまです。素敵な出会いもあったようで何よりです。そのうち六甲の磐座巡りにも興味を持たれるのではないかと想像しています。六甲山と八重山の繋がりを感じられる場所、見つかるとよいですね。
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