六甲山と瀬織津姫 ⑥ 浦島太郎は住吉大神

浦島太郎が丹波の豪族だったことは、
浦島神社(京都府与謝郡)の由緒で分かる。

〜創祀年代は淳和天皇の天長2(825)年
浦嶋子を筒川大明神として祀る。
浦嶋子は日下部首等の祖先に当る。日下部に
ついては『新撰姓氏録』の和泉皇別の条に
「日下部宿禰同祖、彦坐命之後也」とみえる。
彦坐命は開化天皇(紀元前157〜98)の子、
従って日下部首は開化天皇の後裔氏族で、
その大祖は月讀命の子孫で当地の領主である。〜


祭神は浦島子(筒川大神)。
相殿神は月讀命と祓戸大神。
↓浦島神社写真はまたもや公式サイトより拝借。
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「月讀命」については後に考えるとして、
開化天皇→彦坐命→浦島子→日下部宿禰という系譜。
浦島子とは開化天皇の後裔にして、与謝の領主。
また、摂津を治めていた日下部宿禰の祖だった。

浦島子が帰還した頃、真名井御前が、
先祖の地・摂津の六甲山の東麓に、神呪寺を
創祀したというのも、自然の成り行きだったか。

と、ここまで書いて我ながら苦笑した。
浦島子が347年ぶりに帰還とはあり得ない話。

そこで、改めて語り部の意見を反芻してみる。
浦島子は、
「再びまた戻って来たのだと思います」

そこで、ようやく私もその真意に思い至った。
消えた神々が戻って来たということか…。

浦島子が龍宮城へ行った雄略22年。
真名井神社にも異変があった。
祭神・豊受大神が、天照大御神の神勅によって
  伊勢神宮外宮に御饌都神として迎えられたのが、
 同じ雄略22年だった(年代参照 伊勢神宮HP)。

それから347年、真名井御前が甲山で感得した
女神とは、故郷・真名井原に坐す豊受比売だった。
そのとき、一対神である豊受大神
(=浦島子=筒川大神)も甦ったと祝福された。
住吉三神の「筒」を冠した筒川大神とは、
住吉大神の亦名だったと思う。




↓真名井神社のご神体山(禁足地)の鳥居脇に、
神々の名が連なっている。
左の碑には、鹽土老翁、亦名 住吉大神、
亦名 綿津見神、亦名 豊受大神とある。すべて同神
という意味だろう。ちなみに、磐座の奥に小さく
「道祖神」とあるのを参拝した3年後のきょう発見。
こちらも同神としてのクナト神のことだろう。
そして、宇迦之御魂は豊受比売の亦名だと思う。
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『浦島太郎』とは、聖地・真名井にいた女神を
皇祖神・天照大神の御饌都神(食事を司る神)
として奪われた古代海部族のリベンジ物語か。

真名井御前は、真名井に坐す女神こと豊受比売
神格を継ぐ霊力(しじ)高い日の巫女だった。
幼名は厳子(いつこ)。

その一字「厳」は、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命
(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつ
 ひめのみこと=瀬織津姫)にも含まれる
「神聖なる、神々しい」という意味だろう。

真名井御前は、日の神に向かって崇める
「向津媛」となる宿命の姫だったのだ。



by utoutou | 2016-04-18 08:24 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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