六甲山と瀬織津姫 ⑩ 琉球産の宝貝

以前、籠神社参詣した際、ケーブルカーで登り、
↓傘松山公園からこのような天橋立の絶景を見た。

眼下に広がる阿蘇海に天橋立が横たわっている。
半島と半島に挟まれた内海のようになっている。
その名からして、九州との関係が深いという印象がある。


写真の奥、山並みの向こう側は栗田湾といい、そこ
に注ぐ由良川の下流域に、志高(しだか)遺跡がある。
20年ほど前、この遺跡で弥生時代中期の墓、つまり
古墳の前段階の墓が発掘されたというが、
その際、宝貝が詰まった弥生土器の壷が出土した。
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宝貝には多くの品種があるが、キイロタカラガイ。
森浩一氏は著書『京都の歴史を足元からさぐる』
('10年、学生社刊、下の写真も拝借)で、
この土器が、中国式の貯貝器である可能性を示唆。
 豪族の墓の副葬品だったのではと、記している。
        
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キイロタカラガイは、中国では殷(前17〜11世紀)や
周(前11〜8世紀)の時代から、貨幣や贈り物として
用いられ、王墓の副葬品として大量に埋葬する
風習が、明代(14〜17世紀)まで続いたという。
いや現代でも、中国周辺に宝貝を珍重する所があると。

その事情を日本で最初に紹介した江上波夫氏は、
宝貝を子安貝と記したが、古代人が安産のみならず、
生命の永遠を願って、あるいは秘められた呪力を信じて、
女性器の形を崇めたのは、洋の東西を問わなかったようだ。



↓ 中国雲南省の石寨山(せきせいざん)古墳から
出た、漢代の貯貝器と、子安貝。
※写真は江上波夫・著『東アジア文明の源流』
(山川出版社)より拝借。
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こちらは、子安貝飾馬具(同じく借用)
中国河南省殷墟武官村大墓出土。殷後期(復元模型)。
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宝貝は、琉球が最大の産出地だった。
それを琉球人が採り、需要のある中国へもたらした。
船で運んだのは、主に九州の倭人たちだったと記し、
森氏はこの丹後の宝貝入り土器について分析した。

〜 丹後には中国の根強いタカラガイ愛好の習俗が
伝わっただけでなく、貯貝器に入れるというような
作法も伝わっていたとみられるのである 。〜

琉球産の宝貝が中国で珍重され、やがて日本海を経由
して、丹後に輸入されたのだろうと考えておられた。
ただ、伝わってきたのは「習俗と作法」だけとも読める。

では「宝貝と壷」はどこから来たのか? 土器は、
ここ丹後か播磨で作られたとの見方があるという。
宝貝については、琉球直送か大陸経由か分かっていない。

いずれにしても日下部氏がらみか? と、私は思った。

籠神社・海部氏の同族と思われる日下部氏は、
    この丹後・丹波・摂津・播磨に根を張り、   
日本海側の由良川から、瀬戸内海側の加古川へと繋がる
交通網の航海・水運権をほぼ掌握していたと思われる。

  いっぽう、日下部氏の祖先は、
薩摩の阿多にいた隼人という。その海人集団は、
紀元前から、琉球や南島産の貝を運搬する貝商人だった。

薩摩半島西岸部の阿多(現・南さつま市金峰町)の
高橋貝塚(縄文晩期〜)からは、琉球産のゴホウラ貝や
オオツタノハなどの大型貝類が出土しており、
              ヤマト各地に流通する貝輪の一次加工所があったという。              






















by utoutou | 2016-04-27 08:38 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(2)
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Commented by at 2016-04-27 19:19 x
utoutoさん、こんにちは!最近更新ペースが早くて理解が追いついてませーん(;´д`)とりあえず連休は戸隠神社行って、勉強してきたいと思いまーすε=(ノ・∀・)ノそして高橋貝塚!!!去年野間岬探検しに行った時に行きました!!場所がわからなくてたどり着くのにとっても苦労しましたが(笑)南鹿児島は興味をそそられる場所でまた行きたいなーと思っています。行って思ったのですがニニギノミコトは霧島に天孫降臨したのではなく、野間岬に辿り着いた海の民で南鹿児島の地元の人と一緒に生きて、その後ニニギノミコトの後をついだ山幸彦が勢力を拡大していく中で偉大な父親を霧島に祀ったのが、後の天孫降臨の神話になったんじゃないかと(笑)野間岬の海岸にはニニギノミコト上陸の地もありますし。海幸彦、山幸彦の話も南の島々が関係してるのは間違いないだろうなーと去年結構妄想しましたー(笑)
Commented by utoutou at 2016-04-29 09:20
> 寅さん
こんにちは。ペース早いですよね(笑)。何か他人事みたいですが、アマミキヨに関して分かることの展開がいろいろあって、私も書きながら追いつくのがやっとという感じです。
高橋貝塚、行かれたのですね。河口から2.5kmの位置だと何かで読みましたけど、古代は港だったらしいですね。その立地が琉球と北九州を結ぶ中継地として栄えた理由でしょうか。
ところで、寅さんのご先祖かもしれない天穂日命ですが、やはり日下部と同族だと思います。それは日下部と日置(土師)が同族ということでもあり、日本(日の本)の根幹をつくった一族に繋がるのではないかと思っています。
戸隠神社、楽しんできてくださいね。
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