本邦最古の神社という奈良の大神神社。 『古事記』によれば、大物主神は出雲の 大国主神の前に現れて言った。 〜国造りを成就するためには、吾をば倭の青垣、 東の山の上に齋き祀れと。〜 朝廷成立前、倭の青垣(聖域)は三輪山だった。 祭神はその神体山に鎮まっているため本殿はなく、 三輪山に祈るという、いわば沖縄の御嶽遥拝方式。 〜神社の社殿が成立する以前の原初の神祀りの様を 今に伝えており、その祭祀ゆえに我が国最古の 神社と呼ばれています。〜(大神神社HPより) ↓ 三つ鳥居の写真は同パンフレットより拝借。 ただし拝殿から拝礼しても、その先に山頂はない。 この配置を「三輪山の山頂“外し”」と書いたのは、 地元桜井市に住む在野の歴史家・田中八郎氏。 著書『大和誕生と神々』(彩流社刊)より以下に要約。 ☆縄文神である大物主神(ミムロ神)は、 そうではないのに、大和政権の守護神にされた。 ☆鳥居の中に入れない隔離した特異な祭祀の在り方。 ☆三ツ鳥居は、三輪山頂(467m)から500m南 の地点(標高326m)のコブを向いている。 ☆拝殿の向きはミムロの親方の古里・宇陀の方向 でもあり、地元の民衆は好都合だと思ってきた。 標高326mの地点とは、どのような場所なのか? 桜井市埋蔵文化センターのHPに掲載されている ↓ 三輪山磐座MAPを見ると、そこは舞台状の平場らしい。 中央青丸は大神神社拝殿、右矢印は326mの表示を指す (画像に私が加工)。確かに拝殿はその地点を向いており、 すぐ北の地域は「禁足地裏磐座群」と示されている。 そこから、子持ち勾玉・勾玉・臼玉が出土したという。 さて、本題の三輪山登拝レポート。 ↑上MAPでは右端、頂上の奥津磐座を目指した。 結果、 上下山の一本道を、2時間というごく標準タイムで 踏破したものの、所々に現れる急斜面には閉口した。 ネット情報で得た、狭井神社にあるコインロッカー を使用する予定が、日曜のためか満杯で、泊まり道具 やらパソコンやら本やらが詰まったリュックとトート の2個持ちという、ちょっと場違いな登拝姿である。 コンバース履きでは、川沿いの坂道では滑りがち…。 ↓ 狭井神社でいただいた資料から、登山道の略図。 「8」高宮(こうのみや)神社、「9」奥津磐座。 「7」の急坂を経て西面する高宮神社が目に入った ときには、さすがにホッとして荷物を降ろした。 高宮神社の小祠に祀られているという祭神は、 日向御子神(ひむかのみこのかみ)。 大物主が坐す山頂に相坐すとは、どのような神か? さらに… 登拝から4日経ったいま、気になって仕方ないのが、 大神神社拝殿の正面に坐していたかもしれない神。 こちら山頂に大物主がいるならば、あちらには一体? 下山してから語り部に聞くと、こう言った。 「とても大きな神が祀られていると思います」
by utoutou
| 2016-06-03 01:37
| 瀬織津姫
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