六甲山と瀬織津姫 23 神々の封印と鎮魂

大神神社祭神・大物主は饒速日尊(二ギハヤヒ)。
記紀成立のとき、女神(皇祖神)・天照大御神に
神名を奪われたとされる男神・天照大神のことだ。


何日も経った今さらながら、大神神社の境内に
広がる池の名を、なるほどなと、ひとり振り返る。
↓ 鎮女池(しずめいけ)とは、女神を鎮魂する池か。
『ホツマツタエ』で天照大神の妃神と記された
瀬織津姫を祀るために「鎮女池」の名があり、その
本地仏・弁財天(市杵島姫)を祀る神社がある…。
a0300530_10132299.jpg



鎮女池の傍には、皇后陛下の歌碑もある。
〜三輪の里 狭井のわたりに 今日もかも
花鎮めすと 祭りてあらむ〜
(昭和45年にご親拝、5年後の歌会始で詠まれたとある)
a0300530_13554755.jpg



いっぽう饒速日尊(天照大神)の鎮魂は、大神神社
春の大祭の後宴祭で奉納されるという能の演目
『三輪』に見て取ることができる。

〜思えば伊勢と三輪の神、一体分身の御事、今更何と〜

この一節を、鎮魂と言わずして何と言うべきか。
伊勢大神(天照大神)と三輪の大神は同神だと、
つまり天照大神はこの国の地主神だと、詠っている。


それならばと、私は語り部に聞いた。
「やはり、三輪山の山頂を外したという三ツ鳥居の
先には、饒速日尊の磐座があるのでしょうか?」
「沖縄の斎場御嶽のような磐座だと思います」
「イキガナーワンダー(男の祖先霊)のような?」
「そうですね」

すると、逆に、聞きたくなるのは三輪山頂のこと。
由緒には、奥津磐座に大物主が祀られているとあった。

 「では、三輪山の山頂の奥津磐座に祀られているのは、
大物主(饒速日尊)ではないということですか?」
「陵(みささぎ)には違いないと思いますが…」
「が…?」

「私はこう思います」と、語り部は言った。
「高宮神社に祀られている日向御子神とは、
日本(ひのもと)大物主…つまり、饒速日尊
 より古い、代々の天御子(あまみこ)でしょう。
本当の国津神ということです」
「日向御子神(ひむかのみこがみ)とは日本大物主?」
「そうです」

大物主神にも、新旧がある。すると、
 饒速日尊が天磐船に乗って「日本」に天降りたとき、
 既にこの国を治めていた代々の王、地主神がいた…。



三輪山山頂の奥津磐座群は陵(みささぎ)か。
磐座群は幅10m、奥行き約40〜50m続いている。
撮影OKな頃の画像?を「近畿のANABA」様から拝借。
a0300530_16290786.jpg













by utoutou | 2016-06-09 14:01 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(2)
トラックバックURL : http://mintun.exblog.jp/tb/22883476
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by mikumano at 2016-06-11 08:50 x
面白い展開ですね(微笑)
高千穂の神、出雲の神、熊野の神とも同じ事が言えるのではないでしょうか???
先住の大祖先の神のご神霊をスサノオ(ニギハヤヒ・渡来系)に引き継いだのではないでしょうか。

出雲と大和のあけぼの 142頁からの古代豪族の家系図を注意深く見ていると、いろんな真実が浮かび上がって参ります。
今後の展開も楽しみにしています。
Commented by utoutou at 2016-06-12 09:38
> mikumanoさん
こんにちは。仰る通り、海人族族の辿った道の痕跡は、各地で同様のものがあるのでしょうね。
向家の家系図はまだすんなりと理解できないでいます。いつも徐福のあたりで混乱してしまいます。そこに違和感がなくなれば、もっと分かってくるとも思いますが。
ただ偶然、次に書きたいと思っているのが「斎の国」について。古代出雲=斎=倭、だと実は以前から考えてまして(広大な国ですね)、それならば、斎の徐福が往来しても不思議はないわけで。やはりキーマンは徐福となるのかもしれません。
<< 六甲山と瀬織津姫 24 三輪山... 六甲山と瀬織津姫 ㉒ 大物主神... >>