六甲山と瀬織津姫 25 太陽の道

狭井神社の「さい」とは「斉の国」だ…という
語り部の話で思うのは斎場御嶽(せーふぁうたき)。
古来、「さいはのうたき」と呼ばれていた。

琉球王朝時代には、代々の聞得大君(最高神官)
の就任式を行った聖地、つまり王家の「祭祀場」だ
が、「葬場」あるいは「墓地」でもあったと思う。

斎場御嶽の奥宮と伝わるナーワンダーグスク
(イキガ(男)とイナグ(女)、ふたつの巨石)。
 その御嶽名の由来は、ナーワンダー=なでるわ。
「祖先の神霊」が滞留するという意味である。

となると、大和の出雲こと三輪山の磐座との
共通点を、いやが上にも思わせる。大国主の
末裔という古代出雲王家・向家の伝承で、斎場
とは、王の遺体を埋葬した山の神籬を指すという。

※古代の琉球と出雲の関係や、契約古伝については、
これまでも書いており、「大陸渡来のワニ氏…
など「甦る古代琉球」のシリーズをご参照ください。

さて、
  17802年続いたと琉球王朝の史書(中山世鑑)が
記す天孫氏王朝を、海を越えて隆盛した古代出雲
(斉の国)と見る語り部は、その王とはスサノオ
(契丹古伝ではスサダミコ)で、亦の名を
「天地(あめつち)の大神様」「天王ガナシー」と
呼ばれたという。ちなみに妃は「天妃ガナシー」、
または「照(てらし)ウヤガナシーと呼ばれた。
※ガナシー=神様、ウヤ=親。

その一対神は、
久高島を東端として東西軸上の聖所に祀られてきた。
久高島・大里家、斎場御嶽、大里・天代大世の拝所。
(以前の記事「スサノオの天孫氏王朝」はこちら
そして、おそらく東西軸の西端にあたる浦添城にも。

ただ東西軸=太陽の道=レイラインを作ったのは
誰か、または何族かを、解明した人は未だいない。


話は戻って、大和の出雲こと三輪山。
ダンノダイラは三輪山の東(1.7㎞)に位置する。
そこで、俄然、気になるのは「大和の東西軸」だ。

NHKのドキュメンタリー『知られざる古代』('80)
や、そのディレクター・水谷慶一氏が同名著書で
記した「北緯34度32分」、つまりレイラインの存在。

三輪山を中心に、東西軸上には長谷寺や室生寺が、
70 ㎞東には伊勢の斎宮後があると、水谷氏は書いた。
西には箸墓、大鳥神社(堺市)、淡路島の伊勢の森。



↓三輪山の摂社・桧原神社も当然のこと同じ緯度で、
二上山に沈む春分・秋分の落日が見えるという。
※美しい写真は『山辺の道ガイドブック』
(三輪山分化研究会)より拝借。
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こちら自前の写真。狭井神社の鳥居近くの標識。
左・桧原神社、右・大神神社の左右が東西軸。
いわゆる太陽の道・レイラインである。
対して南北(標識の縦板)にあるが山辺の道。
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数年前に撮った箸墓古墳。左奥が三輪山。
ここを起点に西向きのレイラインは始まる。
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では東に行けば…とツラツラ考えていて、こう思う。
その東端は、斎宮よりもっと先にあるのでは? と。
すぐ東、伊勢神宮の外宮内宮、二見興玉神社も同緯度。
太陽の道は東端の千葉県まで繋がっているのでは?

そんな折り、語り部から連絡が来た。
「美具久留御魂神社は、どこにありますか?」
「みぐくる…ですか?」
「はい、その神社が視えて仕方ないので…。
詳しいことをちょっと調べてもらえますか?」

私も知らなかったので電話で話しながら検索。
「ありました…えっと…」
なんという偶然、神様はお見通しということか。 
美具久留御魂神社(大阪府富田林市)の緯度は、
34度31分。「太陽の道」と、わずか1分の違い…。
その由緒がまた、とんでもなく「出雲」なのである。











れれれ
by utoutou | 2016-06-16 22:43 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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