六甲山と瀬織津姫 27「太陽の道」は「鉄の道」

北緯34度32分をゆく「太陽の道」の線上に
 ある美具久留神社(大阪府富田林市宮町)に
 は水分神(みくまりのかみ)が祀られている。

天水分神(あめのみくまりのかみ)
国水分神(くにのみくまりのかみ)

天水分神とは、聞き慣れない神名だったが、
籠神社に参った際に「御由緒略記」で知った。
主祭神・彦火明命、相殿に豊受大神、
天照大神、海神、次に水分神が配祀されている。

天水分神とは、
〜大元霊神の御徳を分掌せられて、水の徳を
以って諸々の水利、水運、水道などをお司り
になる。奥宮相殿の罔象女(みずはのめ)命と
共に、神代以来最古の水神。〜だという。



田畑に水を配分するのが、天水分神。
籠神の奥宮・真名井神社へ進むと、
鳥居の前で狛犬ならぬ一対の狛龍がいた。
水分神といい龍といい、海洋の民らしい設えだ
と思ったが…。※'13年10月に参った際に撮影。
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 あれから数年を経たいま、丹後や丹波の
国名が含む丹(水銀=辰砂)と水別神の
関係が、しきりと思い起こされる。

北緯34度32分の線上に鎮座する
 美具久留(みぐくる)神社の創建由来に出てきた
  氷香戸辺(ひかとべ)は丹波国氷上郡の女首長。
 
 氷上郡は今も「日本一低い分水嶺」として有名で、
 古来、太平洋と日本海の交易ルート上にあったが、 
 その分水嶺が「水分かれ」と呼ばれる
 産鉄地だったことは各地の伝承が物語っている。

氷香戸辺が『日本書紀』で皇子に進言するくだり
は唐突だが、鉱山の頭領だった有力者なら頷ける。


「日本一低い分水嶺」として有名な丹波市氷上町。
いまは↓「水分れ公園」がある。背景が分水嶺?
こちらの写真は神戸観光名所写真集より拝借。
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そんなわけで、「太陽の道」は鉱山と無縁ではない
と思う。線上に位置する箸墓古墳からは、10年前、
水銀の朱を使った祭具(木製仮面)が出土している。


逆に西へ進んで、ほぼ線上にあるのが、
 宇陀水分神社神社(うだのみくまりじんじゃ)
(奈良県宇陀市)。崇神天皇代の創建。国宝である
豪華な朱塗りの社殿の写真は公式サイトから拝借。
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宇陀水分神社は、大和水銀鉱山に最寄りで、
祭神は、天水分神、速秋津比古神、国水分神。

水分神、あるいは水分神社について、
田中八郎著『大和誕生と水銀〜土ぐもの語る
古代史の光と影』(渓流社)は次のように述べる。

(要約)
☆水分神社と「水の配分」とは関係がない。

☆水分神社は奈良県内に50社以上あったが、
社名変更されたり、神名を掲げていない社も。

☆主に、宇陀・都祁(つげ)・吉野に集中
しており、奈良盆地内には4社しかない。
奈良県以外には大阪府に3社など、わずか。

☆飛鳥でヤマト政権が動き出し、金メッキの
仏像などの生産工房が稼働すると、水銀産出地
である宇陀は、一時加工所のメッカとなった。
その「水分加工所」は8世紀後半まで稼働し、
後に神社として祀られたが、歴史は失われ、
9世紀の「延喜式」で単に「水の神」とされた。

☆ほどんどの社が、天水分神と国水分神の併祀
で、王権直属系と先住民系の違いを表している。

話は戻って、「太陽の道」は「鉄の道」だと、
真弓常忠氏はその著書『古代の鉄と神々』
(学生社)で論を展開している(以下要約)。

☆「朝日さす夕日輝く」土地は財宝ならぬ鉄の
在り処を教えている。

☆北緯34度32分線上の三重県御壷山の周辺は
土壌が鉄分を含む赤土。ここは日置姓が多く、
日祀りと共に日神祭祀を行い、製鉄に従事した。

☆線上の葛木山(金剛山)の土壌は朱砂(辰砂)。
ここで修行した役行者は賀茂の役(採鉱)の民。
賀茂氏も古くは製鉄と関わりを持っていた。





by utoutou | 2016-06-22 22:08 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(7)
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Commented by たぬき at 2016-06-27 08:55 x
クル、関連してクラ、クリ、(クル)、クレ、クロ
これ等は製鉄にかかわり合いの有った土地や事物だ。とのお説があります。

なかんづく、朝鮮半島から旧高句麗に(製鉄技術他)由縁が有るとも。
彼の地には鉄にかかわり合いのある土地にクル等が付いているとも。
高・「句麗」がクレ、クリ、クロに変化した可能性を考えます。

あと、美具久留御魂神社のほぼ真西には伊勢久留麻神社。所以に一帯は久留麻(来馬郷)。更に西南西には栗村山常隆寺(伊勢の森。常隆寺山)。
極めつけは一世紀から三世紀頃にかけて稼働していた当時、国内最大規模の鉄器のコンビナートの垣内・五斗長遺跡の存在。
また、その傍らを流れる川を黒川と言う。
Commented by たぬき at 2016-06-27 09:45 x
上古、自分たちの神社(自分たちの神を鎮祭)を設置する事は、同時にその地域一帯を支配下に置いたことをも意味します。
同時に旧勢力は放追、帰順、またはゲリラ、パルチザンとなって新体制に反抗

美具久留御魂神社の創建伝説は正にこの絵図そのものかと。
この河内、和泉(元来は河内国を割いて設置。なぜか?河内の旧勢力の再興や復興を阻害するため。同様の事が全国で実施された。特徴的なのは桃太郎(ヤマト王朝)に攻め滅ぼされた要部を占め繁栄していた美し国の大吉備国。、、、♪お腰に付けた吉備団子)一帯は出雲族、出雲の部民が入植して開発した一大拠点地域。
故に大三輪神社の初代神主、太田田根子が逃げ隠れもせず棲んでいた土地。
時代(物語)は正に同時進行。首長で有った太田田根子さまがヤマト王朝に三輪山に連行されたために祭祀や統治が滞り、部民たちは反旗を翻しゲリラ活動を展開していた、、、?
なぜか崇神天皇は「五彩の大蛇の巣窟」をご存知で自ら視察に御幸されます。
こんな流れではなかったか?
Commented by utoutou at 2016-06-28 13:17
> たぬきさん
こんにちは。いわゆる倭鍛冶については少しずつ考えてきましたが、まだまだ韓鍛冶までは手が届きません。三韓についても、沖縄とは非常に関係の深い隠された歴史があると思っていますが、そちらもまだといった具合です。
黒川については、例えば、出雲の斐伊川が黒い川なのは川底に砂鉄が溜まっているからだという説がありますが、それと高句麗との関連はいかがなものでしょうか。
ご教示ありがとうございます。
Commented by utoutou at 2016-06-28 13:42
> たぬきさん
氷香戸辺のいたあたりの山垣遺跡(氷上郡春日町)からは、和邇族の痕跡と思われる遺物が出ているようですね。美具久留神社を創建した当時、和邇氏は体制側だったのでしょうか、あるいは反抗勢力に回っていたのか。葛木王朝の時代、多くの姫を皇家に出した一族が、崇神に時代になってからどのような立場にいたのか気になります。
また崇神の時代、大和神社を三輪山から離れて創建したのも、出雲勢力放逐の一貫だったのだろうと、昨日プログを書きながら感じていたところでした。
Commented by たぬき at 2016-06-29 09:59 x
コメントありがとうございます。
大和神社に関連して、淡路国三原郡、現、南あわじ市の幡多(ハタ)地区の高台に太古より鎮座坐すのが、
淡路国二宮(式内、三原郡筆頭。名神大社)の大和大国魂神社。
奈良の大和神社の分霊を奉迎しての創建。創建時期は不明ながら、社伝には創建には倭宿禰命や磯城長尾市の名が伝わるとか、、
何となれば、大和本宮とあまり変わらない時期の創建かもしれません。
また、二宮さまの不思議は、神社号にも関わらす一千数百年に渡り祭人が伊耶那美命と信奉されてきた事。
時宗の開祖、一遍上人は晩年この二宮に至り在所の人から祭人が伊耶那美命だと聞き及び深い崇敬と祷りを捧げ、社前に小屋を営み自らの布教の拠点となさっています。(踊り念仏。ひょっとしたら後々の盆踊り等に影響を与えたのではないか?)
地名は幡多。秦さん(地元の有名な造り醤油屋。知人)もいらっしゃいますし、長尾さんもあまたいらっしゃいます。
時代は下り、明治と成って明治政府の皇国史観に基づいた国家神道の下、役人がやってきて地元民の信仰、崇拝を横目にあれこれ勝手にヤラカシました。
二宮さま(一宮のイザナギ神宮も)も例外ではなく、神社号の通りに祭人を大和大国魂大神(元々、天照皇太神と並立する最高神)に復すにあたり、
旧来永らく信奉されるイザナミ命を破却する(各地で神殺しが横行した)訳にもいかず、
新たに社地を定め改めてそこに奉遷して神社を創建。、、、オノコロ島神社。
何故そんな事が言えるのかと言うと、オノコロ島神社の全景を写した二枚の古写真があり、
時代が古い方は周囲の田んぼ等と余り変わらない平地に鎮まりますが、
数十年後のお姿は、流石!国産みの神様。非常なるご神威力を表されたのか現在と同じ丘に成っています。
、、、明らかに人工的に盛り土造成した。

(一宮のイザナギ神社は本殿の後ろの古来絶対禁足地とされた古墳をあっさりと破壊。
石棺の周囲を人工基壇で囲み込み社殿で蓋をした形が現在の本殿。不都合な事があるのでは。
因みに漏れ伝わるところでは恐れ多くも石棺内を拝した際に二柱の御遺体(御神体)を認めた。とも)
イザナギさま(海部の神様。丹後の磯砂山(イザナギの山。また、豊受大神(元々は摂津に座したとか)も降臨)
Commented by utoutou at 2016-06-30 12:12
> たぬきさん
こんにちは。玉手箱のように逸話が続々と。ありがとうございます。
淡路島は未踏の地ですが、興味深いです。大分の日田→金毘羅宮→淡路島は、もしや渡来ルートだったのでしょうか。そして子孫が残った?
イザナギ宮、イザナミ宮、石上神社、船木、見たいところがたくさんあります。
恐縮ですが、移動中にて、、後ほど続きます。
Commented by utoutou at 2016-07-01 08:40
> たぬきさん
おはようございます。話が途切れてしまい失礼しました。
淡路島の「人工丘陵」の写真が残っているとは貴重ですね。それで昨日は、神武陵とされるミサンザイ古墳のことを連想した次第です。あちらも幕末に急造されたものだと、『天皇陵の真相』という本で読みました。平地に立派な古木を植林してこしらえたのだと。明治政府は官製古代史を演出する装置を全国にこしらえたのでしょうね。
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