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六甲山と瀬織津姫 31 ヒミコの魂(改)

 伊勢神宮から淡路島の北部・船木の磐座まで
の東西軸を貫く「太陽の道」。北緯34度32分、
総距離約200kmとなるレイライン上に点在する
古代の聖蹟群が物語るのは、原初の太陽信仰だ。

それは海人族が航路を定める羅針盤であり、
五穀豊穣を占う農事暦であり…人々が、
生命の輪廻と子孫繁栄とを祈った聖域。

よって、そのレイライン上に築かれた箸墓の
被葬者と言われる倭迹迹日百襲姫命が、
大物主の妃神であると同時に、太陽に向かって
日神を祀る向津姫だったことを示している。

ただ、二至(夏至冬至)二分(春分秋分)
に行われた日神祭祀は、何も北緯34度32分
の線上だけに限ったことではないと思うのだ
日神祭祀を行う巫女を向津姫と呼ぶなら、
向津姫とその神籬は緯度に関係なく在った。

憧賢木厳之御魂天疎向津媛命が祀られる
廣田神社は北緯34度45分に。

ホツマツタエが祭神・瀬織津姫、天照大神と
記す日前神宮・国懸神宮(和歌山市秋月)は、
北緯34度13分に。瀬織津姫は向津姫である。



日前神宮・国懸神宮
(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)
には、伊太祁曽神社と同日に参拝した。
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日前神宮。祭神は、日前大神こと瀬織津姫。
相殿に、思兼神(おもいかねのかみ)
石凝姥命(いしこりどめのみこと)。
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国懸神宮には国懸大神(くにかかすおおかみ)
と、玉祖命(たまおやのみこと)
明立天御影命(あけたつあめのみかげのみこと)
細女命(あめのうずめのみこと)が祀られる。
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広大な境内の東西に、二社を祀る。
日前神宮方向から国懸神宮を見る。
朝7時40分。国懸神宮方向から朝日が射す。
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迹迹日百襲姫、神宮皇后、瀬織津姫…。
この姫君たちに共通する向津姫の条件とは何だろう。

語り部は言う。
「向津姫は日巫女であり日御子だったと思います。
代々の天皇の姫が斎宮となったように。それなら、
その頂点にいた王は、どなただと思いますか?」
その問いに、私は答えられなかった。
「……」
「天御蔭命(あめのみかげのかみ)だと思います」
「あ、それなら分かります。『海部氏勘注系図』
に、天火明命と同神だと書かれてますね。
迹迹日百襲姫もその系図に日女命と」
ヒミコの魂を継ぐ姫には間違いないのですが、
私には、火明命が天御蔭命とはどうも思えない」

驚いたことに天御蔭命は、こちら国懸神宮にも
明立天御影命として、祀られている。つまり、
丹後・六甲山・大和・熊野を繋ぐ神とも言える
が、さて、その新たに見えてきた神像とは…。

by utoutou | 2016-07-05 17:36 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(2)
Commented by たぬき at 2016-07-03 22:50 x
この南北線もビックリポンが潜んでいます。
北の極(紫微宮)が籠神社。
真ん中に生田神社。第2代ヒミコの稚日女命=生田大神。(天照大神の妹(この場合、一族の末裔の女)。御称号を大倭日女命(第2代。初代の実兄の孫。大倭の称号は凡百の大王ではない特別賞なお方のみ)。また、天豊日女命。また、竹(たか)野媛命)

南も太陽のごとき慈愛に道溢れた仏。紀三井寺の十一面観世音菩薩。(一切衆生救済の菩薩、、、伊勢(イシェア)の神。幸魂)
また、道成寺。
、、、(神を仏に置き換えた)
東西線で太陽の道?が明白なものは、吉野山の東西線。
真東は滝原宮と伊雑宮の2つの伊勢の宮
真西はそれこそ吉野山と全く同じ緯度に有る淡路島第一の霊山、淡路富士こと、先山(センザン)
延喜元年901年に建立の真言宗別格本山。先山千光寺。
境内にはイザナギ、イザナミを祀る二柱神社。
弁財天を祀る弁財天社(竹生島は鬼門ピッタリ。安芸の宮島もほぼ真西。)。
少し降ると巨大な磐坐に天照大神を祀る天の岩戸神社。
東に天照神(朝日)。西にイザナギ(夕日。旧天照神(ホアカリ)近畿の神霊結界にはすべてイザナギ(スサノオ、ホアカリ、天照)が関わる)。
東西線の太陽の道は古の大王宮の結界。
多数存在する理由(大王宮が度々移動)も説明できます


Commented by utoutou at 2016-07-07 07:58
>たぬきさん
こんにちは。そもそもレイラインは誰いつが引いて、誰が完成させたものでしょうか。よくそういうことをつらつら考えます。また、レイラインは「太陽の道」だけでしょうか。「星の道」や「月の道」はないのでしょうか。ラインはひとつにあらず、多種あるのではという思いが拭えません。たぬきさんも(レイラインが)多く存在する理由は大王宮が度々移動したからだと言及なさっていますが…。
いま、その理由をあれこれ考えているのは、丹後〜摂津を貫く南北ラインです。浦島神社・東経135度15分、本住吉神社・東経135度15分、神呪寺・東経135度19分、廣田神社・東経135度20分。これが琉球と非常に関係の深いのかなと…。
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