六甲山と瀬織津姫 33 スサノオの再臨

籠神社に初めて参拝した'09年のこと、
宮司さんに何やら不思議な話をお聞きした。
その年の春の葵祭りのとき、御神幸と呼ばれる
渡りの最中の正午ごろ、太陽に輪の虹がかかったと
いうのだ。それはまさに宝冠のように輝いていたと。
↓ 記念写真を印刷したものを、私も頂戴した。
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その写真を思い出し、いま改めて見て、
「時代は変わるときが来たのかも知れません」
と、仰った意味が飲み込めたという思いがする。

丹後では、葵祭りを「藤祭り」とも呼ぶそうだ。
あるいはまた、「御生(みあれ)の神事」とも。
最初に司祭したのは、彦火明命。

「御生れ」とは神が降臨または再生することをいう。
沖縄久高島の言葉で言えばイザイホーの「魂替え」。
始源の神の霊力を、新しく入れ替える神事を指す。


葵祭りはまた、『海部氏勘注系図』の綏靖天皇
代の欄には、「御蔭の神事」とも記されている。
天御蔭命がスサノオの異名だと解釈したいま、
その神事の意味を私なりに紐解くと、葵祭りとは
スサノオの神迎え神事ということになるか。

記紀成立の時代に大和朝廷によって祭祀が
 改変されて以来、海人族の大王・天御蔭命
(私見ではスサノオ)は悪神・禍々しい神とされた。
その神の新たなる御生れの時に現れたに虹は、 
  籠の鳥が出る「夜明け」の到来を告げていた?



藤祭葵祭発祥二千五百年祭風景。
『元伊勢の秘宝と国宝海部氏系図』より拝借。
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↓ 籠神社。現存最古の系図と言われる
『海部氏本系図』『海部氏勘注系図』は、
   秘蔵1200年を経て、'76(昭和51)年に
   籠神社より公表された後、国宝に指定された。
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by utoutou | 2016-07-08 22:22 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(4)
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Commented by あおい at 2016-07-10 19:16 x
はじめまして。
2009年の籠神社葵祭りでの太陽の虹の輪、記念すべき事象でしたね。
ところで御蔭は古語で光であり、天御蔭命は海部氏の光の大王の意味となります。
ヒコホホデミもそうですが、単独の神尊ではなく、海人族のスメラミコトの魂をもった大王につけられる称号とみています。
私見では初代火明命がスサノオに該当するのではないかと思います。
コメント失礼しました。
Commented by utoutou at 2016-07-12 12:00
あおいさん
こんにちは。コメントありがとうございます。日輪虹の写真は、先日、そう言えば…と思い出しました。宮司さんは神事の最中のため、氏子さんが撮影したものだそうです。まさに記念すべき奇跡的なタイミングでしたね。
天御蔭命はおっしゃる通り「光」ですね。琉球の神観念から察するに、スサノオは海人族の皇(天御蔭命と称されるスメラミコト)であるいっぽう、彦火明命は、海部氏の始祖であり、その天御蔭命を祀った初の司祭だったかと思っています。もちろん、後の時代から見ればスサノオの神魂を継いだ神様ですね。
かつて真名井神社の神体山入口に「熊野大神(須佐之男)」と刻まれた石碑が立っていた意味を、改めて考えています。
Commented by あおい at 2016-07-12 15:37 x
お返事ありがとうございます。
1999年に籠神社に参拝しましたが、その日、天橋立を望む成相山で太陽に虹の輪がかかる事象に遭遇したのを思い出しました。
籠神社の火明命の配偶神である市杵島姫命は籠神社秘伝では別名天照大神であり、竹生島神社でも確認しました。
天真名井で天照大神と誓約したのはスサノオであり、真名井を真名井原と考えると彦火明命はスサノオに比定されます。
ヒコホホデミも天火明も天御蔭もスサノオの御魂につけられた称号ではないかと思います
真名井神社背後の磐座群では盬土老翁の磐座の奥まった所に熊野大神の碑がありましたが、この配置も意味がありそうです。
籠神社関係者から、先代宮司の描かれた元伊勢七神像を見せて頂きました。
その中にスサノオも描かれていますが、その配置について意味を考察したいと思います。
Commented by utoutou at 2016-07-15 10:46
あおいさん
こんにちは。宮津には虹がよくかかるのでしょうか。私も見てみたいなと思います。
さて、真名井原に熊野権現ことスサノオの磐座があったことは確かなようですね。そもそも籠神社の北西、日本海側の久美浜湾の兜山熊野神社の存在もそのことを傍証しているのでは。ただ真名井原に現在も道祖神の立札が残されていることを考えると、スサノオの影にもう一柱、隠された神が在ると考えるのが自然かとも思います。
おっしゃる通り、スサノオの御魂は海部氏の神々に冠されていると思っています。ただ、スサノオという天王と、スサノオノミコトという記紀に登場する神とは、分けて考えたほうがよいかと…。その妃神について探る場合も然りで。
記紀神話のなかに埋没した史実を見極める視点は個々人の数だけあるはずですから、意見はもちろん百様ですけれども。。
元伊勢七福神像は何代前かの宮司さんが秘伝に基づいて描いたという掛軸のことですね。上記の意味でスサノオが倭姫と並祀して描かれた構図は、中央に豊受大神が配祀された意図と相まって興味の尽きないところですね。
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